『房総ぶらり神社仏閣巡り』

観光客が訪れることも無い房総の小さな集落にひっそりと佇む神社やお寺をバイク(タンデム)で巡ってます。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

神社仏閣

またまた石柱?

先日、お寺さんの石柱をアップしましたが、そのお寺さんからすぐの場所に諏訪神社があります。
房総往還ちょっと入った場所に御鎮座してますが、房総往還から入る道自体が元々は参道だったのでしょう。

写真は神社のある道(元々は参道と思われる?)から房総往還を撮ってます。
参道と思える道の出口両側に建ってる石柱。両方の石柱共に上の方は折れたと思われます。
個人的に想像します。。。この2本の石柱は鳥居だったのでは? 房総往還からの参道入り口に鳥居があっても不思議じゃないと思う。
戦後、住宅が増え車社会になったから道を拡幅するために鳥居を撤去したと思えます。そして鳥居がここにあった証に鳥居の柱部だけ残したのではなかろうか? 私の考え過ぎ? 空想好き?
あくまで個人の想像ですから間違っていてもお許しを。(;^_^A
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ずいぶん前からこの石柱の存在は知っていたが、傍でじっくり見たのは今回が初めてですわ。
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『?十二庚辰暦五月十五日願主』上部と下部が切れて写ってない。もう少し上に元号ほってあったかもしれませんね。(;^ω^)
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『???大明神御賓前所』? 奥に見えるのが諏訪神社です。
それにしても、鳥居にしたら文字が多すぎに思える。
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本当に何であろうか?(笑)

使用カメラ KONICA  MINOLTA  DiMAGE  X50

石柱

近所に『如意山 本行寺』というお寺があります。昔の房総の大動脈である房総往還沿いにお寺の入り口があり立派な石柱が建てられてます。以前から気になっていたので15年ほど前に散歩ついでに近くで見たことがあります。江戸時代の年号が彫られていたのは覚えていますが、その時はカメラを持ってなかったので彫られている字を見るくらいでした。

先月1月28日にセロー225で散歩に出かけた時に、そうだ写真を撮っておこうと思いちょっと寄ってみました。

立派な石柱です。中央あたりで継ぎ目があります。1度折れたと思えます。戦争の時か? または地震で倒れて折れた? と想像します。

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高さ2メートル50センチぐらいでしょうか? 正面の字は難しくて私には読めませんわ。(笑)
この写真を見るとサイドの面は読めそうですね。でも急いでいたのでしょう?スルーしてしまい裏面を見に回ってしまいました。近いうちにサイド面も見にいかないとね。
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『寛政(1791年)辛亥八月日 如意山 本行寺』とハッキリ読めます。八月の下「日」の文字はちょっと怪しいかな?(笑)  しかし、江戸時代の寛政年間から、この房総往還を行き交う人々を見てきた石柱です。もうその石柱を見ているだけで歴史の重さ、時間の不思議を感じてしまう自分がいます。
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台座の正面側には寄贈者の名前が彫られている。左から『十兵衛』か『平兵衛』、中央が『三河屋』、右側は読めないわ。(-_-;) 三河屋さんなんて本当に江戸時代そのものって感じですね。(^^)/

使用カメラ KONICA  MINOLTA  DiMAGE  X50

熊野神社 その3(千葉県長生郡長柄町長柄山)

社殿。
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拝殿と本殿が一体型の社殿です。山の斜面を削って平らにした場所に社殿があります。重機の無い時代に山の斜面を削ってこれだけの平らな土地を作るのはとても大変だっただろうと思います。
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社殿の右側に摂社。中をよく見なかったので摂社なのか?よく分かりませんが注連縄があるということは、中に神様がいらっしゃいますね。
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お額はありませんでした。
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神社の境内をぐるっと一周しましたが、石の祠が1宇も見られなかったです。私が見つけられなかっただけかもしれません。もしかすると先ほどの摂社が石の祠であるかも?ですね。
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御神木と思われる立派な杉。
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最近、伐採されたようですね。
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そろそろ帰路へ。下界に高級マイカーが見えてます。(笑)
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下から見上げるより上から見るほうが高度感がありますわ。
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鳥居にも奉納年月が見当たらなかった。この鳥居は木製だったので石の鳥居のように100年、200年、300年もの長い時間を超える前提では無いから、年号を刻まないのかもしれませんね。
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県道が見えてます。
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神社駐車場に建っている古い母屋。こういう雰囲気、とても好きです。(^O^)/
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この母屋、長柄町長柄第4農産物検査場所、と書かれてます。検が旧字体の『』が使われています。古そうですね。
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駐車場の奥に自噴井戸かな? それとも天然ガス井戸?
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では、今日はこれで。。。(^。^)y-.。o○

使用カメラKODAK  Z990

熊野神社 その2(千葉県長生郡長柄町長柄山)

石段を登ります。鳥居の左側に手水盤があります。
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奉納と氏子中の文字は見えますが、裏側を見てもそれ以外の文字は風化が進み読み取ることが出来なかった。悔しいです。(´;ω;`)ウゥゥ
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さらに石段を上がります。
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正面に社殿。狛犬様と灯篭があります。
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奉納された方のお名前が読めます。
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奉納者の名前が刻まれている石の下の石に昭和三十五年(1960年)二月吉日の文字が刻まれてます。
その1で最初の石段の親柱にも昭和三十五年(1960年)二月吉日の文字が刻まれていた。。。ということは、もしかして灯篭も?という事が脳みそを横切りました。
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さて灯篭を見てみます。
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風化で非常に見ずらいです。昭和三十五年(1960年)三●●● の文字までは何とか読める。 s100_0154

おそらく昭和三十五年二月に神社の大規模な改修が行われたのでしょうね。それ以前にも、おそらくあったであろう灯篭や狛犬様も見たかったですね。
その3へ続く。

熊野神社 その1(千葉県長生郡長柄町長柄山)

5月2日()は買い出しの帰りに長柄町の熊野神社に寄ってきた。
長柄山集落の熊野神社は集落を通る県道に近い場所に御鎮座してます。
神社の駐車場は県道沿いにあります。この県道は30年ぐらい前から度々通っていますが、ここに神社があったのは気が付きませんでした。(;^ω^)

県道沿いの駐車場。
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駐車場から県道を渡った向かい側に神社があります。こりゃ車やバイクで走っていたら気が付かないわ。(笑)
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早速、参道を進んでみます。お~、近づくにつれ見えてくる石段の多さにちょっとビックリです。
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石段は手前に3段。その先、鳥居の手前が20段。鳥居の後ろが56段になります。
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現在の石段は昭和35年(1960年)2月吉日に竣工ですね。パッと見た感じは少なくても戦前ぐらいに作られた石段だと思いましたよ。(^-^;
石工さんは千葉市村田町(今は千葉市中央区村田町)の両国屋と刻まれています。
両国屋さんですが、今は浜野駅西口前のコンビニが両国屋さんだと思います。コンビニになる前は食料品の商店でした。その頃、自分はたまに両国屋さんで仕事帰りに買い物してました。店に両国屋という文字が表示されていた記憶があります。そうなると、もっと以前はそこで石屋さんの看板も出していたのかも知れません。う~ん、小さなことですが、新たな発見はとても楽しいです。(^O^)/
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うぉっと急に睡魔に襲われたので、その2へ続く。

買い物の合間の短時間で❣❣❣

2ヵ月ほど前ですが、相方の買い物中の少しの時間を利用して何枚かスマホで写真を撮った。

撮影場所は市原市五井中央南の大宮神社。
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現在使用されていない古い手水盤を発見した。
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寶曆九(1759年)己卯年九月吉日。自分が今まで見てきた1700年代の年号で文字がこんなに綺麗で読みやすいものはかなり少ないです。
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鳥居。
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●●嘉永六(1853年)癸丑年九月吉●日。●印の文字がハッキリしないのが悔しいです。
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この日は時間が無くて早々に神社を後にしましたが、機会があればまた寄りたいです。

撮影カメラ スマホ。 今のスマホは、ほんとに綺麗に撮れますね。デジカメの販売台数が減りデジカメ市場が萎むのも妙に納得できますわ。(@_@;)))

新書では売ってない!

こんな書籍をみつけた。もちろん新書ではもう売って無い。初刷は1975年、2刷で1985年の発売です。
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まだ頭しか読んでませんが、これは非常に楽しめる。←自分が神社好きだからですが。(笑)

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私の宝物がまた1つ増えました。

八幡神社 その7(千葉県市原市瀬又)

その6の答え。

ここです。(笑)
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使用カメラ KODAK  Z990

八幡神社 その6(千葉県市原市瀬又)

社殿脇の灯篭です。石の角もハッキリしているし苔も見当たらない。近年の奉納でしょうかね?
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この面に年号が彫られているようだが、どうにもこうにも解読出来ません。古代ピラミッドの壁に彫られている文字を解読するより、こちらの文字を解読する方が難しいかもしれない。←ん~な訳、ね~べや!(^o^)丿
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社殿反対側の灯篭。
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こちらも解読不能。
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社殿裏側は小高い斜面になってます。
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神様のいらっしゃる本殿の方が重厚で時代を感じさせます。
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拝殿とは造りが違います。
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次の台風シーズンまでにブルーシートは取り外せるだろうか?
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壊れているのはブルーシート部だけでは無かった。
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厠。
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では浮世の世界へ戻りましょう。
下る石段の右側。親柱。昭和二十四年(1949年)三月吉日とあります。石の痛み程度程度から見て昭和五十四年ではないと思いますが、真相は??? 石段の場所によっては竣工時期が違ってました。その3の親柱は昭和二十一年十月竣工でしたから。
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いつ撤去できるか?昨年の台風15号の置き土産。
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昔は手摺など無かったはずです。落ちた人、いるでしょうね。
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急登度は並みぐらいと表現しておきます。人それぞれ感じ方の違いはありますが。。。(笑)
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もうチョイで浮世です。
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小さな郷社や村社は氏子の皆さんがいてこそ成り立ちます。氏子の皆さんに感謝です。
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神社を巡っていていつも思うのは、古来日本人は神様(神社)を中心にして繁栄してきたんだということです。
遠き昔を思いながら神社を巡る。これからも続けますよ~。
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追記。
神社近くの川です。寒桜?河津桜?が綺麗でした。
ここで問題です。この写真に一対のカモがいます。さて何処にいるでしょうか?
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答えは、その7へ続く。

八幡神社 その5(千葉県市原市瀬又)

石段を上がったところの右側灯篭の後ろに手水舎があります。s100_0038

小型の可愛い手水鉢。
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側面を見ると二人の名前と住所が彫られてる。二人の名前という事は石工ではなくて寄進者か?
住所は東都?東部? もし、この手水鉢が江戸時代に作られたものだとしたら、当時の人たちは西の京都、江戸を東の東都、と呼んでいたのだろうか? また、東部が正解なら当地あたりに東部という地域があったのか?
えどから見ればこの房総は東側にあることは確かだが??? あとに続く字は名前以外は読めそうで読めない。(笑)
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反対側側面。當所願主、3名の名前が彫られている。寄進者の名前ですね。
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背面にまわると、はっきりした字が見えた。やはり江戸時代です。
享和元(1801年)辛酉年三月吉日です。小さな集落の神社で3点セット(狛犬様、灯篭、手水鉢)で江戸時代の年号が確認出来たことはとても嬉しいです。
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では社殿を見てみます。社殿の床下に崩れた灯篭の宝珠がありました。またいつか元どおりに直して頂けると良いですね。
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拝殿と本殿。あれ~、こんな場所にも灯篭がある。滅多に見ない配置の灯篭です。もしかして、昔は拝殿が無くて本殿が社殿としてあっただけなのか? いろいろと想像が膨らんできます。
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まずは灯篭に接近しましょう。(^。^)y-.。o○

おっとここで朝飯タイムになりましたので、その6へ続く。
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