先日、JR岩泉線の廃止が決まった事をニュースでしりました。正式な廃止日はまだ発表されてなかったようですが、廃止は決定との事です。
やはり無くなるのは寂しいです。行ったことがあると寂しさもなおさらこみ上げてきます。
写真は2007年8月10日に岩泉駅にて撮りました。車での旅行です。
駅に入り線路やホームを写してみました。岩泉駅は終着駅です。
単線ホームです。
もうすぐ廃止。駅舎やホーム、線路はどうなるのだろうか?
線路跡地は遊歩道?サイクリングコース? 駅舎は観光センター?サイクリングセンター?
なるべく鉄道の雰囲気を残したまま、次の世代に残してもらいたいものですね。
使用カメラ NIKON COOLPIX7600
鉄道
撮影日1976年1月2日。撮影場所は夕方の上総亀山駅です。
久留里線 (その1)を先日ブログに載せました。その後その他のカットを見ていたら、今となっては貴重な物が写っていた。撮影当時は特別珍しい物では無かったから特別意識してその物を撮った訳では無いですが撮っておいて良かったです。全国あちらこちらの駅や機関区には役目は終えていたがまだまだたくさん残っていた物です。
駅から最初の踏切。ここにはその物は写ってません。
上総亀山駅遠望。ここにも写ってません。
同じく上総亀山駅遠望。まだ写ってません。
次の 写真をよ~く見るとその物が微かに写っています。(その1の同じフレーミングの写真でも、微かに見えてます。停車してる列車の屋根の高さほどのすぐ右側です。手前のポイント交換機の点灯しているランプのすぐ上です。解りますでしょうか??? 情報が少なく詳し事は解りませんが、久留里線にSLが走っていたのは昭和30年代前半までらしいです。走っていたのはタンク型のC10,C11,C12のどれか?が走っていたような情報はあるようです。ということはこの写真に写っている物は久留里線からSLが消えたと時期と同時に、その役目が終わり20年余り経った1976年1月(昭和51年)でもしっかり残っていたのですね。
それは何か?そうSLには必需品の『給水塔』です。では駅舎の反対側(駅の横)に回りましょう。
給水塔が2台あります。背丈の低いのは洗車用?の水と思えます。背丈が高いのは明らかにSLの給水塔です。
写真はわりと明るく写ってますが実際はけっこう薄暗くなってます。駅舎の中が明るく写ってます。電燈や列車の車内灯もすでに点いてます。
撮影した日は上総亀山駅でフィルム36枚撮り1本も撮らなかった。あの日から37年が過ぎました。なぜ駅の回りをもっといろいろと撮らなかったのだろう。。。悔やまれるな~。
PS.久留里線には木更津駅以外に転車台はあったのだろうか? たぶん1976年当時の上総亀山駅には無かったと思います。あったらたぶん記憶に少しは残ってると思うが転車台の記憶はまるっきり無い。おそらく久留里線のSLはタンク型だけだったようですし短距離路線ですから転車台は木更津駅だけで十分だったのかもしれません。
使用カメラ MINOLTA SRT SUPER 50mm f1.4
撮影1971年12月。日にちまでは思い出せません。翌年7月15日に房総東線は全線電化完成し、名前が外房線に変更されました。
撮影場所 誉田駅より土気駅方面に700メートルほど進んだ線路南側の畑の中より撮影。下り列車です。
キハ17、キハ18、キハ17の非常に美しい編成でした。キハ18は運転台の無い中間車両で昔から数が少なかったように記憶してます。この頃はキハ30系(3ドアタイプやステンレスタイプ)なども混じることが多く車両編成が非常にバラバラで統一性が全くなかったです。ですからこの統一された編成を見たときは『ヤッター』という感じでした。誉田駅へ入線用の腕木式信号機も写ってます。翌年7月15日の電化を控え既に電化用のポールも立っていました。
使用カメラ OLYMPUS PEN HALF
撮影日1972年10月1日(日)。
撮影日前日の9月30日と10月1日は鉄道100周年記念で成田線にSLが走りました。千葉県の国鉄通常ダイヤからSLが消えてから3年後の出来事です。
詳しいことは思い出せませんが、この2日間は両日とも千葉駅発~総武本線経由~銚子駅~成田線経由~千葉駅着で運行したと思います。(記憶が確かでは無いです。すみません。)
場所は佐原駅。まだ電化以前の成田~銚子間ですから目障りな架線もありません。架線があるとSLは絵的には、やはりイマイチな感じに見えます。SLには未電化区間が良く似合います。
銚子方面から入線です。『C57 1』佐原駅に10分位は停車していたと思う。
線路へ降りて撮影。駅員さんが注意することも無かったです。昭和40年代だから、このように線路に降りて撮影出来たのでしょうね。まだまだ長閑な時代でした。
この当時(昭和47年)は、まだ銚子駅、西千葉近くの気動車区の外れ(稲毛駅寄り)、蘇我駅の外れ(浜野駅方向)には転車台が残っていました。ですから銚子駅へ向かうときも千葉駅へ向かうときもSLは前を向き運転されました。
千葉からSLが消えて、まだ3年しか経っていないのですがSLを懐かしむ人たちでホームはいっぱいでした。客車に乗ろうとしてる人は一度降りた人でしょうか?昔の客車は停車していればいつでも乗り降り自由でした。自動開閉なんて無くて、取っ手の付いた単なる扉でしたから。(笑)
ホームで撮ったあとは発車シーンを取るためホームを降り線路脇へ移動です。
出発です。
力強い音で迫ってきます。
いくら遅いSLでも目と鼻の先では、あっというまに行ってしまいます。
行ってしまいました。
この後、再び成田線にSLが走るのは40年と5ヶ月先になります。
使用カメラ OLYMPUS PEN HALF
PS.確かこの頃は総武本線と成田線に1日1往復、千葉銚子間の普通客車列車が残っていまして、どちら経由の列車も片道1時間30分から2時間位の時間をかけ銚子と千葉間を走っていました。DE10かDD51が茶色や青色の古い客車を牽引してました。その列車の千葉駅発成田線経由の銚子駅行きに一度だけ乗ったことがあるのですが(乗るために千葉駅で2時間待った。)、列車の写真を一枚も取らなかったのが今となっては悔やまれます。正確に言うと何枚か撮ったような記憶はあるのですがネガや写真が見つかりません。
それから、もしかするとその列車は房総東線の同年7月15日の電化完成によるダイヤ改正に伴い総武本線と成田線の客車列車は7月14日限りで 無くなっていたかも?しれません。このあたりの記憶がハッキリしなくてスミマセン。どなたかそこのとこ知ってる方いましたら教えて頂けたら嬉しいです。)
http://blog.livedoor.jp/shumitei/archives/4425244.html←その1
http://blog.livedoor.jp/shumitei/archives/4438977.html←その2
http://blog.livedoor.jp/shumitei/archives/4444494.html←その3
高麗川方面に向かう貨物列車。
この頃はまだタブレット交換が行われていました。
この巨大スプリングみたいな物は、通過列車がタブレットを駅側に渡す時に使う受け取り装置です。
駅の入線ホームの入り口側にあります。
ホームの出口側には駅を通過する列車にタブレットを渡す装置があります。
一本足で立ってる柱、上部右側が三角形の先端に駅側から通過列車に渡すタブレットをセットしておくと、列車(機関車)側面に付いてる引っかけ金具でタブレットを取ることが出来るのです。写真ではちょうど機関車の金具に引っかかったタブレットを機関士さんが腕を伸ばして取ろうとしてる場面です。
このようなタブレット交換はあくまで駅に停まらず通過する列車の場合です。駅に停車する列車の場合は駅員さんと機関士さんが直接手渡しでタブレット交換を行います。
使用カメラ(おそらく) MINOLTA SRT SUPER 50mm f1.4
八高線シリーズはこれで終了になります。
撮影日前日の9月30日と10月1日は鉄道100周年記念で成田線にSLが走りました。千葉県の国鉄通常ダイヤからSLが消えてから3年後の出来事です。
佐原駅でSLの写真を撮る前に隣の香取駅付近でディーゼル貨物列車とディーゼル列車の写真を撮っていました。
香取駅近くの歩道橋の上から銚子方面を撮影。当時はまだ非電化の成田線です。
鹿島線と成田線の分岐点より佐原方面を撮影。写ってる列車は佐原方面に向かって走ってます。手前のレールは鹿島線です。遠くに写ってる歩道橋みたいな上から写した写真が一枚目の上の写真です。
この後、佐原駅に向かいSL(C571)を数カット撮りました。
その写真はまた後日アップします。
使用カメラ OLYMPUS PEN HALF
翌年7月15日に房総東線は全線電化完成し、名前が外房線に変更されました。
大原駅にて。1両編成ということは木原線(現、いすみ鉄道)の列車と思えます。
何故か? 当時、房総東線で1両編成の列車は無かったと思いますから。
電化工事も進んできました。ポールと架線を吊る鉄骨も写ってます。
勝浦方面から入線してきた上り千葉行き列車。
上総一宮駅を出て直ぐの場所で撮影。大原方面に向かう急行『外房』。
左下には近々立てられる電化用のポールが置かれてます。
この頃まだ大網駅はスイッチバック式の駅でした。大網~土気の間も単線の急勾配路線で上り千葉行き列車はエンジンが唸りっぱなしですがスピードは一向に上がらず状態でした 。
使用カメラ OLYMPUS PEN HALF
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金子駅の八王子方面出発用の腕木式信号機です。
この信号機は駅構内から繋がっているワイヤー操作で動かします。
(どういうワイヤーかというと、その1にある写真の左下に少し写っています。)
信号機上部左側腕みたいのが水平ならば赤(停止)、斜め左下に下がれば青(進行可)。
左側腕部の反対の右側には円形のガラスレンズが2枚(青色と赤色)が入っており固定位置にある電球の光を透過して見えるようになっており、腕部が見えづらい夜間でもしっかりと信号を認識できるようになっている。
駅構内より信号機を動かす装置がこれです。大きなレバーが8本あります。
操作レバーは高さ1m20~30cmぐらいあったと思います。
(たぶん手前に引くと信号機の腕が下がり青になると思いました。←言い切れる自信が無い。(汗))
ということは金子駅では腕木式信号機が8台あったことになります。上下線の2ホームしかない駅です。貨物の引き込み線や待機線などもありません。だとすると駅構内で上り下り用に4台の信号機、駅より数百メートル離れた拝島方面に上り下り用2台、同じく駅より数百メートル離れた高麗川方面に上り下り用2台があって合計8台だと想像します。(笑)
残念ながら金子駅全ての腕木式信号機の場所まではこのとき確認しませんでした。何故ならこの時代、腕木式信号機まだまだ各地で使われていましたから、それほど興味を引かれなかったのですね。もっと注目して撮影しておけばよかったです。
使用カメラ(おそらく) MINOLTA SRT SUPER 50mm f1,4
八高線(金子駅)その1はこちらです。→http://blog.livedoor.jp/shumitei/archives/4425244.html
駅前にたまたま居た人をそのまま撮ってしまった。当時は本当に長閑な駅でした。
厠です。
東飯能方面より金子駅に入線する貨物列車。(DD51牽引)
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