陶磁器は何につかわれるのでしょうか?
この土台の石は何処から切り出されたいしなんでしょうか? ここは房総の地ですから鋸山から切り出された房州石と自分は思ってしまいます。(笑) ノミの跡から思わず石工さんの仕事姿を想像してしまいます。
社殿の左側裏手に石の祠が1宇ありました。3段の石段ですが横幅もあるし立派石段です。
どんな神様をお祀りしてるのでしょうか?
よく見ると、この形とても美しい。神社仏閣など江戸時代までに完成された形を見ていると、日本人の美的感覚?みたいなものは唯一無二のものなんだと本当に思います。←まっ、世界中どこの国もそれは一緒でしょうけど。(笑)
残念ながら長い年月の風化により文字は一文字も確認出来ませんでした。
拝殿の正面に戻ります。社殿の正面扉にも神紋の『左三つ巴紋』があります。拝殿が竣工した当時は朱色が塗られていた感じがします。
この龍の彫り物がいつごろ作られたものかは解りませんが、生きていらっしゃったら人間国宝間違いないですね。
トータル71段の石段を上がった境内からの景色は下から見るより高度感がありました。
左の枯れた大木は御神木であったように私は感じました。雷で打たれたのでしょうか?それとも病気にかかった? この残った切り株を見ると元気だった姿が想像できますね。
自分はなんだかかなり想像するのが好きなんだ?とブログ書いていて改めて気づきました。(笑)(^O^)/
今は簡易的な手摺がありますが昔は無かったと思われる。足を滑らした下を走る県道まで、ものの数秒で行けると思います。その場合、必ず命のスペアを持参願います。
そろそろ下界へ戻ることにします。
石段を降りて手水舎のあったところにこんな柱がありました。最初、石段を上がる時は文字まで見なかったので、今しっかりと見てます。お~、本殿には仏様がいらっしゃったんですね。今ごろ気づくなんて遅すぎですね。(;^ω^)
バイクのところへ戻ってきました。このとき神社に着いた時には気が付かなかった事に気が付きました。
アスファルトを敷く以前は石段に続く参道が真っすぐと通っていたはずです。この2カ所の跡は鳥居か灯篭か狛犬様があったと思われる。もし灯篭か狛犬様だとしたら、写真よりもっと手前にも鳥居があったと想像できる。
昔の姿を見たいですわ~。タイムスリップしてみたいとつくづく思います。(時をかけるジジイ)角川文庫
では遅いオニギリタイムをするため『道の駅たけゆらの里おおたき』向かいます。
この道の駅の休憩室がトイレ脇にあり絶えず臭い匂いが漂ってました。もちろんここで美味しくオニギリタイムを過ごしました。(◞‸◟) (笑)
本日の走行距離191キロ。使用カメラ KODAK Z990
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