石段を登った右側には熊野神社社殿があります。写真右下手摺のある場所が石段です。こちらも山の斜面を平らにしたスペースに建ってます。広くも無いスペースなので拝殿と本殿が一つの作りになっているかと思いましたが後ろに回ると立派な本殿がありました。
拝殿の右側には水盤がありました。その2に写っている摂末社の水盤の方が大きいですね。
この水盤も文字を見つけようと回りを一回りしたが『奉献』以外の文字は確認出来ずでした。せめて元号(年号)ぐらいは知りたいな~。
どこかに文字が彫られていたのか? 普通は彫られているものですが、その痕跡さえ私には見えませんでした。
水盤自体わりと綺麗に見えるのですが表面の風化が激しいのでしょうね。
拝殿左側には自噴井戸?湧水がありました。湧水量はジワジワと地面を乾かぬ程度に濡らすぐらいです。昔はもっと湧水量が多くてお清めの水に使われていたのでしょう。
拝殿の後ろ側を見てみます。本殿が少し見えます。山の斜面を切り開いた平らにしたスペースに社殿が建っているのが解ると思います。社殿の左両側は山になっていて平らなスペースが殆ど無いです。
社殿右側に回ります。奥に本殿。
こちら右側もすぐに崖が迫っていて左側同様あまり平らなスペースはありません。
拝殿と本殿をつなぐ通路。
社殿右側は、、、
すぐこんな感じ。手摺もありません。足を滑らしたら船橋ヘルスセンターの大滝すべり状態になり写真中央の陽射しの中に立ってる木のあたりまで止まらないと思われます。
社殿の土台はコンクリートでは無く石が使われてす。本殿は盛り土の上に建ってます。外側を石で固めてあります。本殿の柱は礎石の上に乗ってます。
拝殿の手前地面にある3個の大きな石が気になる。
う~ん、何でしょう? もともと自然にあったとは私には思えない。鳥居が立っていた? 狛犬様がいた? 灯籠があった? 灯籠説が一番有力だと思いますが3個が気になる。でも真ん中にも灯籠があったら参拝の邪魔になる。 昔の人が結界として置いたのであろうか? それとも本当に自然の置き物か??? なんか想像するだけで楽しくなります。
拝殿の前は自噴井戸(湧水)流れがあります。水量は湿っている程度。雨などを流す為に人工的に造られた溝でしょう。
そう言えば集落に古くからある神社(氏社)には石の祠が必ずと言えるほどあるのが普通ですがここではまだ一宇も見ていません。石段の途中にあったのが祠ならば一宇みたことにはなりますが。。。すこし辺りを探す自分。
その2で写ってる摂末社の後ろ側を見た時についに発見。
失礼してフラッシュを焚いた。もう少し落ち葉などが積もったら発見できないですね。そうなったらただの石と間違えてしまいそうです。氏子の方でもこの祠があることを知らない方もいるのではないでしょうか?
もしかするともっと祠があったのかもしれませんが私はこの祠しか見つけられませんでした。
その4に続く。