買い物に車で出たついでに近場を散歩してきた。
行った場所は市原市金剛地に御鎮座する『熊野大神』である。
そこはまるで下界から離れた“隠れ里”のような静かな場所であった。
地元住人以外は絶対に来ないであろう細い道(昔はこの道がおそらくメインだったのであろう。)を車で上がって行くと鳥居が見えてきた。一の鳥居のようです。
鳥居の奥に続く道が本来は参道であろうが、今は鳥居の左側よりこの参道に道が繋がっていて車で進めます。村の小さな神社だと思うのですが立派な鳥居です。
熊野と名前が付くのですからおそらく熊野三山から分霊されたと思います。
手水舎であろうか? 何か文字が彫られているか探してみたが見つからなかった。
鳥居には享保12年(1727年)の文字がある。
もう一方の柱には御鎮座の場所が彫られている。
上の鳥居から200メートルほど進むと右側に180°ほどUターンのように曲がり進んでいく。
下の写真の右側から来て、ここで右折して正面に進むと道なりに右カーブ。
すると社殿と石段が見えてくる。石段は緩やかで20段ほどです。
石段最上部右側の親柱?(正式名が解りません。(汗))
同じく左側です。左右どちらかに年号が彫られているのだが写真に撮ったら、まったく年号が見えなくなって写っていた。近いうちに再度訪問して確認したいと思います。(たしか享保年間だったような気がします?)
石段を上がるとすぐに狛犬様がお出迎えしてくれます。
右側の狛犬様。
そうですよね~、鎌倉時代の古いものがそう簡単に見つかる訳ないですよね~。(笑)
左側の狛犬様。
“上総国市原”市原という名は鎌倉時代からあったのですね。
拝殿前から石段方面を見る。狛犬様のすぐ手前の灯篭は平成9年の新しいものです。
もう一つこちらに近い場所にある灯篭が古そうです。
石段を上がり狛犬様と新しい灯篭の次に右手側にある手水舎。小さな神社ですと水を補給する水道さえ壊れていたり、水がまったく出なくなっている神社も多いですが、ここはしっかりと現役で使われてます。
天気も悪く暗い境内なのでストロボを焚いて撮影してますが、かえって彫られた字は見えにくくなってしまいました。次回からは撮影時に気を付けないといけないですね。
享保16年(1731年)の字が見えます。
正面に拝殿。
右側の灯篭。
こちらも年号を撮影したがストロボ焚いた為か字が見えなくなってしまった。
記憶では享保年間のような気がします。こちらも再度行った時に確認しないと。
左側の灯篭。
字が見えない、しかもピンボケ。最悪写真。(汗)
神社の名前として~神宮、~大社、~八幡宮、~八幡、~天満宮、~神社などの名前はあれど、大神という呼び名の神社があるとはここへ来るまで知りませんでした。
後ろには本殿。
拝殿の左手には立派な大銀杏がある。
摂社?末社? 何か不思議な光が2個写っている。
自分でしばらく何が写ったのか考えていた。霊現象?自分は霊現象を全く信じないので結論は10分ほどででた。そう言えばこの撮影時、雨粒がポツポツとほんの少しづつ落ち始めてきたのであった。そう、雨粒にストロボの光が反射した光でした。(笑)
境内は立派な杉に囲まれ神聖な領域に入っている事を十分に感じる事ができます。
おまけ。
境内の隅にトイレがあります。右手前は工事現場などで見かけるボックスタイプの厠(青色)ですが、
問題?はその奥の厠。もちろん見た感じだいぶ使われていないようです。(使用不可でしょう)
私の見た感じ、どう新しく見ても戦前に作られたように思います。さすがに厠には竣工年号など記入はありませんからいつ出来たか不明です。もしかしたら戦後かもしれないし大正時代かもしれません。
私の父親の実家が大正時代に建てた家だった頃は土間があり風呂は五右衛門風呂でした。
厠は母屋の中に無く外(庭の隅)にあり、まさに写真のような厠でした。
正面の扉が無い場所が男用、木の壁で見えませんが右側に女性用(大用)です。
厠を女性用(大用)方面から見たところ。
日本の厠の歴史を知る上で貴重な財産ではないでしょうか。
取り壊さないでこのまま残してもらいたいものですが多少は補強しないと崩壊してしまいそうで心配です。
平成の時代の今、このような厠は本当に少なくなったと思います。ましてや現役のこのような厠は日本ではもう皆無ではないでしょうか。