May 2018
5分待とうが10分待とうが熱くならない。。。壊れたか。。。(´Д⊂ヽ
確か10年以上前に100円ショップのダイソーで買ったハンダゴテです。使っても年に数回しか使わないが、まあ10年以上も使っていれば壊れても諦めもつきます。(^^)/
車庫にはもう20年以上は使っているハンダゴテがありますが、こちらは健在です。
ただ、家の中で使用する時にいちいち車庫からハンダゴテを持ってくるのも面倒なのでやはりもう1本買っておかないとね。
今日、100円ショップのダイソーに寄りましたので買ってきました。税込み540円。
ハンダゴテ、男にとっては必需品と言えますね。\(^o^)/
ここ塩田天満宮では石の祠は見当たらなっかた。私が見つけられなかっただけかも?(;^ω^)
摂末社が一社ありました。
『痘瘡神社』とあります。痘瘡の意味は?難しいですね。ネットで検索したら『もがさ【痘瘡】天然痘の古名。痘瘡とうそう。』とありました。 天然痘と呼ばれる以前の昔の呼び方ですね。むかし痘瘡が流行したときに祀られたのでしょう。
社殿周りをもう一度散策。
このS字のような柱は最初からこうなっている木を探すのでしょうか? それとも太い木から切り出すのでしょうか? う~ん、解からん!
こういう眺めって江戸時代の頃と変わらないのでしょうね。
木目も美しく時間を重ねている。社殿の竣工時期も知りたいのだが手水盤や灯篭のようにはいかないですね。^_^;
神域から下界を見る。
ちょっとローカルな地域になると神社に公民館がありますね。
さてと、そろそろ帰路へ。
おっと、いけない? 本日は自転車で裏参道から来たんだった。(笑)
マイ自転車。前後サスペンション付き。排気量=乗る人の肺活量。馬力=各個体に依る。
使用カメラ KODAK Z5010
その6からの続き。
物置建屋の後ろ側です。湧水の池があったであろう場所です。薄い藍色したアヤメみたいな花が咲いている辺りが窪地になっています。
昔この辺りの土地は1メートルほど掘るとすぐ水が出てきたと聞いたことがあります。昔と違い今は田圃が減り地中に浸み込む水が減ってしまいました。また、残ってる田圃は川や池からくる昔からの水路は絶たれ、ポンプで汲み上げた地下水を使う田圃がほとんどです。この辺りの地域は、昔は浅かった場所にあった地中の水が今は無くなってしまったようです。湧水も枯れる訳です。
正面中央部奥に向う方向がV字型で低くなってます。この低い部分から水が流れ出ていたはずです。今は大雨でも降った時しか水は流れでないでしょう。
この奥が湧水池のあった場所です。手前に流れてきて、写真左下の小さな石橋の下を流れます。今は埋まっていてここに小さな石橋の遺構が残って無かったら流れがあったとは思えないです。
この石橋の道は裏参道になります。小さな流れの先は今はブロック塀に突き当たり左に曲がって側溝に流れます。
小さすぎて欄干と言えるのか?解りませんが、寄進者?の名前がこの面に3名彫られてます。
ブロック塀側の小さな欄干には『明治三十一年五月廿五日』(1898年)と彫られてます。
この石橋が掛けられた頃の風景を見てみたいです。
その8へ続く。
社殿に向かう前に手水舎に向かいます。綺麗な手水鉢です。これは文字の確認が容易そうです。
立派な字です。
『願主 氏子中』とあります。
反対面を見ると、『文政十三? 寅二月吉祥?』(1830年)の奉納です。十三の次の文字は『年』?かな?
吉祥の次の文字は『日』でしょう。
最後に水が入れられていたのは、いつ頃だろうか?
次は社殿です。と言う前に奥の灯篭で隠れていますが水桶?みたいな物があります。
どこの神社にもあるという物では無いですが、確かに見かけることありますね。ただ、今まで巡っている房総の神社では見かけた記憶が無いような?あるような?。。。ここ塩田天満宮で初めて見たかも?です。
むかし住んでいた東京の神社や寺では見たことありますが。。。
名称は何と言うのでしょうか?
昭和三十九年十月の奉納です。花の所は寄進された方のお名前です。氏子の方ですね。当地には多い苗字です。
左側の水桶?の隣に『狛犬様』かな? 一対では無く1体でした。お眠りしてるように見えて可愛いです。(^^♪
『奉献』以外にも文字があったようですが見えません。
その6へ続く。
狛犬様から2番目の灯篭です。
この灯篭は狛犬様から1番目の灯篭ととても似てます。
さてと文字は? 駄目だ~! まるっきり見えないと同じ。
寄進者らしき人の名前の『大』だか『太』しか読めんですたいばい。。。😫 風化を止めることは出来ないだろうか? 国宝に指定されない限り風化は続きますね。。。^_^;
そう言えば、なんか最近は自分もかなり風化が進んできました。今のうちに止めないと偉い事になる。というか、手遅れになってます。(笑)
潔く解読は諦め次の灯篭へ。小さな神社ですが、ここ塩田八幡宮には灯篭が4組もありました。
自分は形で言ったら、この灯篭の方が好きです。なんとなく庶民的な感じがして。(^O^)/
奉納 天満宮の文字が見えます。奉納の横書きが右から左に書かれているから、奉納時期は見かけの綺麗さ感覚よりは案外古い時代の灯篭かも?と期待してしまった自分です。
ここは寄進者の名前のようです。たぶん『田村???』さんの名前で3人彫られてます。
もう一方の灯篭で文字がある面を見ると、、、駄目だ~! 原爆固め喰らった気持ちです。撃沈っす。
その5へ続く。
その2からの続き。
2番目の灯篭の次に狛犬様がいらっしゃいます。
お顔の風化が進んでます。わりと奉納年月は古いかもしれません。
狛犬様、左右で風化の具合が随分違います。でも片方だけ後年に新しいのを作った?感じもしません。この差は何処からくるのだろうか?
どれどれ、では奉納年月を拝見します。はたして?
『天保十二辛?』(1841年)の奉納です。?の字が解からん。『丑』が入りそうなんですが、でも彫り跡を見るとどう見ても違うような。。。(´Д⊂ヽ どなたか解かる方いらっしゃいましたら、ぜひお教えくださいませ。m(__)m
寄進者の名前も見えます。『本所 伊豆屋 八古衛門』と『神田 紀伊国屋 ???』 までは見えますね。
こういう屋号や人の名前を見ていると自分が江戸時代に生きてる気持ちになってしまいます。
もう片方の石の真ん中に『九月吉日』とあります。もしかすると五月かも?しれません。^_^;
石の左右には寄進者の名前か? 石工の名前が彫られているようだが『門』という字しか読めませんでした。
狛犬様の次はまた灯篭です。
この灯篭はわりと近年のものに見えますが、、、
その実態は。。。『明治四十四?』か『昭和四十四?』。元号の部分と?の部分が解からんぞ。(・・?
風化具合からみると明治か???謎っす。(;^ω^)
もう一方の柱の文字はほぼ見えず。(´Д`)
その4へ続く。
燈篭の次が鳥居です。パッと見た感じそんなに昔の奉納では無いような感じです。
ところがところが一瞬にして江戸時代へタイムスリップしてしまった。
『文政元年寅?霜月吉祥日』(1818年)の鳥居です。我が家からもっとも近距離にある江戸時代が明確に解るものです。ところで『?』の部分は何という字でしょうか? どなたか知っている方がいらっしゃいましたら、ご教授くださるととても有難いです。宜しくお願いします。(;^ω^)m(__)m
鳥居の『お額』。字がほとんど見えません。これが200年という時間を超えてきた証拠ですね。ただし、自分が見た感じですが、お額下側の鳥居横長の石だけはやけに綺麗です。ひび割れたか?壊れて落ちたか?したので、おそらく修理交換をしたと思います。その石の方が遥かに綺麗すぎてます。
鳥居の奥には2番目の灯篭があります。
2番目の灯篭には奉納年号が見当たらず。風化で見えなくなってしまったと思われます。奉納年号など彫らないことは普通はまず無いことですからね。
その3へ続く。
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shumitei