June 2017
そろそろ帰路につきます。また水平が取れて無い写真ですね。気を付けないといけませんね。m(__)m
神社の入口左側に幟を立てる石の土台がありました。
観光客など絶対に訪れないような神社ですが、自分はそのような集落の小さな神社が凄く好きです。そんな風景の中にいると、『日本っていいな~』と本当に思います。(^O^)/
さあ、陽が落ち切る前に家に着くように帰りましょう。
本日の走行距離213キロ。
使用カメラ PENTAX K-X
社殿は拝殿と本殿が一つの作りです。神明神社と言う名前ですから、社殿の作りは神明造ですね。とは書いては見たが、神社建築の種類はなかなか覚えられない自分です。(笑)
???造!という名前ぐらいは聞いたことがあっても実際に社殿を見て、この社殿は『???造』とは言えない自分です。お恥ずかしい次第です。(;^ω^)
神社建築→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%BB%BA%E7%AF%89
シンプルな造りですが、神明造は神話の時代(太古)の匂いが感じられる形ですね。
灯籠や狛犬様のように社殿自体のどこかに建築竣工日が記されていればよいのですが。。。
しかしながら、このような木造建築物は石の造形物よりは早く痛んでいきます。当然ですが、修繕でカバーしきれなければ建て替えられてしまいます。国の重要文化財の指定を受けない限り、古い木造建築物の維持はかなり難しいでしょう。
とくに村社、郷社の小さな集落の神社では神社を維持していくための予算を確保するのは容易ではないでしょう。大昔から予算確保は大変だったでしょうが、今の現代社会においては、もっと難しいと思います。
近代社格制度→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E6%A0%BC%E5%88%B6%E5%BA%A6
このような村社や郷社の小さな神社では社殿が建替えられると、すごく簡素な(神社建築様式のイメージが少なくなる)ことが多々あります。これは建て替え予算の関係が大きいでしょうね。
宮大工さんの手に依る社殿建築は普通の家に比べれば、かなりの金額になるはずです。もし、この社殿も建て替えることになれば、もう写真のような木の土台柱などは無い今風の造りになってしまう事でしょう。
この造りは、おそらく釘なんて使ってないと思います。
お賽銭箱。
お額。
自分のイメージでは、こんな形の扉が神話の時代のイメージにありますね。まさに神様の社ですね。
その7へ続く。
その4からの続き。
社殿の右側には祠があります。
古い祠のように見えます。文字は確認出来るのか?
一回り見たのですが風化によって文字は消えてしまったようです。
石碑。『大正六年八月十八日 参宮記念』とあります。
諸冊神社とあります。諸は『いざなぎのみこと』、冊は『いざなみのみこと』ということなので、ここ神明神社は2柱の神様を勧請したということなのでしょうか?
社殿左側にも石碑があります。日露戦争の石碑。
『昭和十一年六月』。???受記念、とあります。う~ん、読めんですたい。(?_?)
神社の境内を見渡すと昔に使われてた何かしらの石が集落の人々の記憶から忘れさられたように置かれている光景を多々見る事があります。この丸い大きな石ですが、明らかに人工的な丸さがあります。元々この場所にあった単なる丸い大きな石では無いことは一目瞭然です。力石???
この石は灯篭の傘のように見えます。いろいろと想像するだけでも楽しい時間を過ごせますね。(^o^)丿
その6へ続く。
正面に社殿。その手前に7段の石段があります。この写真では見えませんが狛犬様の手前に灯篭があります。
灯りを入れる場所以外は初めて見る造形美です。なんだかワイルドで豪快な作りです。
東日本大震災の地震で倒れなかったのだろうか? しかし、見れば見るほど凄い形に思えてきました。(笑)
両サイドの灯篭でここまで形が違うことは非常に珍しいと思います。 なるべく自然石の形を生かしたのでしょうか? そうであれば納得です。(^^)/
いつの時代に奉納されたのでしょうか? ご覧のような形です。文字を探しましたが文字が彫られているような平面すら見つからず状態です。奉納年号は見つけられませんでした。(◞‸◟)
燈篭のすぐ後ろに狛犬様と社殿です。
狛犬様がお出迎えしてくれてます。
足の下には子供の狛犬様。
こちらの狛犬様の足の下には毬があります。
狛犬様は、『昭和六年八月十九日寄進』と読めます。狛犬様をパッと見た時はもっと昔の時代と思ったのですが意外に新しかったです。
その5に続く。
今日、たまに寄る某リサイクルショップに行けたので、写真機材があれこれ入ってるカゴを物色した。(笑)
別に目的物があったわけじゃないですが、物色しているとこのストロボを発見。ジャンク品では無いので一応は使える代物でした。値段は税込み1080円。
さあ、迷わず買った買った買った~!!!(^O^)/
α-SWEETは内臓ストロボが付いているので敢て外付けストロボを買おうとは当時は少しも考えませんでした。
しかし、このストロボを見たらα-SWEETに付くアクセサリーシューの形をしているではありませんか?
α-SWEETのアクセサリーシューは一般的な形ではなくて特殊形状なんです。
これは今買わないと次にいつ出会いが来るか?わからない。。。即買いしてました。。。(笑)
買ったは良いけど出番はいつ来るやら。(;´∀`)
手水舎です。
う~ん、石から石灰質の成分でも滲み出て白くなるのだろうか? それとも単に水道水の塩素が固まるのか? 私には解りませんわ。(笑) パッと見では文字が無いような、それにそんなに古い手水鉢でもないように見えるな~。
目を皿のようにして手水鉢を見ると彫られた文字が見えてきました。
『明和五戊子』(1768年)。その次が『奉寄進若者中???』のようです。
その次が『正月吉日』と読めますね。1768年の正月吉日に奉納された手水鉢でした。
本日も江戸時代の風に触れられて、とても嬉しい気持ちです。
今の時代のように便利な機械が無かった江戸時代の職人さんたちは、この大きさの石を一つ運ぶだけでも大変な苦労があったことでしょうね。
その4へ続く。
国道から少し脇に入った場所に神社は御鎮座してます。鳥居の手前の石段は5段あります。石段右側の石垣も良い雰囲気を醸し出しています。鳥居左側は車で上がれるようにスロープになってますが、昔はたぶん石垣になっていたのでしょうね。
石には重厚さがあります。コンクリートではコノ味は出ないですね。(^O^)/
こじんまりとした神社ですが鳥居はかなり重量感たっぷりで立派です。鳥居はコンクリート製ですね。奉納年号探したけど見当たらなかった。
鳥居を潜って振り返って見える風景。
右側の建屋は地区の集会場。田舎では集会所は、たいてい神社の敷地内にありますね。自分の住んでる千葉市某区某町でも集会所は地区の神社の敷地にあります。この集会所が無かった時代は、神社の景観はすこぶる良かったと思えます。左側に手水舎が見えてます。
っというところで、
その3へ続く。
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shumitei