February 2017
いつものように特別に何かを探す目的がある訳でも無く、ただ興味のあるブースを眺めてはいろいろ一纏めに入ってるカゴの中を見たりしていた。すると私の好きなminoltaの箱が出てきた。
それは何とエクステンションチューブ(中間リング)ではありませんか。。。キャ(^O^)/
その場で中を確認すると説明書まであって品も結構というか殆ど新品。。。キャ~ッ\(^o^)/
消費税込み1080円なり。気がつきゃ、もう沢村忠の真空飛びひざ蹴りを凌ぐ速さで速攻買いしてしまいました。(◎_◎;)
何回も使ってないと思えるほど綺麗。
でもって、買ったはいいがフィルムカメラでの撮影はオイそれとはなかなか行かず、持ち出すのはいつもデジカメばかりなり。宝の持ち腐れ!にならなければ良いのだが。。。(;^_^A
社殿の周りを一周し終わった側にも祠があります。
ここには3宇あります。
読める元号がありますでしょうか?
正面から見て右側の祠には『昭和四年(1929年)十一月十二日』とあります。昭和一桁も随分と昔になってきました。平成もいつかは過去の遠い時代の1ページになっていく。。。考えれば考えるほど時間って不思議ですね。
中央の祠には『文政十一(1828年)戊子八月吉日』とあります。上写真の祠と作られた時間差は101年あります。パッと見には100年の差は感じませんが、よく見ると古いほうが角の取れが大きくなってます。
正面から見て一番右側の祠には探したのですが元号を見つけることが出来ませんでした。風化で見えなくなってしまったのでしょう。
少しばかり周りを見渡すと不思議な石がありました。う~ん、灯篭の土台石? 鳥居の土台石? それとも壊された古い拝殿の礎石? そうであれば2個しかないのはおかしい? またまた頭の中では想像が走り回っています。(笑) 続いてですが、この写真の奥側に不自然に随分と木屑が積み上げられています?
不自然なので見に行ってみると、、、やはり、、、朱色。。。前の拝殿の残骸でした。
極最近に拝殿の建替えが行われたようです。このように残っているのは費用の問題もあるのでしょうね。
本当に今の時代、各集落に残る小さな神社を守っていくことは大変な事だと思います。
でも、日本の文化遺産として日本人なら守っていかないといけないと思います。何も出来なくても、日本人ならそういう気持ちだけは持っていたいとしみじみと感じました。
、
神社は大きさや由緒、歴史に関係なく日本の宝だと思います。
そろそろ帰路につきます。
使用カメラ NIKON COOLPIX7600
その5へ戻る。
拝殿の左側より後ろへ回ります。本殿があります。
朱塗りの本殿が立派です。拝殿は老朽化で建て直されたのでしょうが、本殿と比べると普通の建屋に近い建物になってます。各自治会や氏子衆みなさんの懐事情もありますので、本格的な神社作りの建物を作るのはどこの神社も難しいのが寂しいですが現実なんでしょう。
御神木だけあって立派です。
本殿裏手には大きな石が沢山無造作に置かれてます。東日本大震災で崩れたのでしょうか?
当然ですが神社の何か?に使われていた石です。こういう物は何とか元の形に戻せないものでしょうか?
このままで歴史的&文化的遺産が埋もれていくのは悲しいです。だからと言って私が何か出来る訳では無いですが。。。(>_<)
大きな礎石の上に建ってる本殿。
木洩れ日が綺麗に本殿に降り注いでいます。
建替え前の拝殿も朱色だったはずです。
その6に続く。
正面の拝殿を見るとまだ新しい建屋に見えます。最近、建て替えられたようですね。両サイドに変な石があります。
これは灯篭ですね。灯をともす部分と脚が無くなってます。
もしかすると『その2』で載せた蒲鉾のような石が、この灯篭の脚かもしれません。ここ八幡神社は探すといろいろと残っていて楽しそうですね。
こちらは御神木です。
樹齢はどれくらいでしょうか?
凄い根です。江戸時代の空気や土の匂いを沢山知ってる事は確かですね。
祠がいくつかありました。まずは大きめのから見てみます。
おっ、右下に元号が見えます。
『寛政十二(1800年)庚申九月吉日建』とあります。西暦では1800年代になりますが、世紀的には18世紀ラスト年ということで限りなく1700年代の祠と言いたいですね。(^^)/
その5へ続く。
その2からの続き。
下の写真はその2でも使った写真ですが、続いて手水鉢を見てみます。
見えにくいですが右列には『奉寄進八幡宮御賓前手水鉢』、左列に『延享元年(1744年)子十二月吉日』と読めます。
いや~、西暦1700年代の年号に出会えると、とても嬉しくて心が躍ります。
前にも書きましたが、1800年代の年号(元号)はすぐにも見つかるのですが、1700年代の年号となると一気に少なくなります。
1600年代の年号となると、、、う~ん、まだ私は出会ってないかも?(;^ω^)
続きまして狛犬様を見てみます。
台座の石には『上総国市原郡』とある。そうです、ここは上総の国市原郡です。
郡本村の須田太兵衛さんが寄贈したのですね。
『延享五(1748年)戊辰?八月吉日』とあります。実際は1748年7月12日より『寛延』という元号が始まってます。
以前もこのように実際は元号が変わっているのに古い元号で彫られていた灯篭だったか狛犬様だったか?を見たことがあります。なにしろ江戸時代のことですから元号が変わる情報など三カ月とか半年前から日本全国津々浦々の集落まで伝わっていたのかは甚だ疑問です。または、元号が変わることが決まってからごく短期間のうちに『はい、今日から寛延です。』となったのでしょうか? そのためにここの狛犬様のように実際はありえない寛延五年の八月という事態が起きたのかもしれません。う~ん、いろいろ想像が頭の中を駆け巡ります。(笑)
江戸時代中期からここで参拝する方々を見てきた狛犬様です。
狛犬様の目には21世紀の平成の人々が、どのように見えているのでしょうか? きっと、あまりの変化の大きさに驚いているでしょうね。(;^ω^)
その4へ続く。
正面に拝殿があります。
手前に灯篭、そして狛犬様と続きます。
左側灯篭の後ろに手水鉢、その後ろに御神木があります。
大きな立派な灯篭です。
何か文字があるのですが読めんばい。(?_?)
なんとなく、昭和二年~、と彫ってあるようにも見えなくも無いが、、、違うかな? わからんわ。(;^ω^)
次は手水鉢を見てみましょう。手水鉢周りの蒲鉾のような石が2個(手前と奥)と瓶のような石はなんじゃろな?
まず手前にある蒲鉾みたいな石を拝見。すると元号や月の文字が彫られていた。必死に見たが元号は解からんです。その下に干支で『丁』『酉』の文字が読める。その下は『十二月吉日』と読めます。
手水鉢の後ろ側にも同じような石があります。こちらにも文字がありますが、『奉』と『石』の文字以外は何という字が彫られているのか解りませんでした。野ざらし状態ですから、あと20年もしたら文字が完全に見えなくなるかもしれません。
次に瓶みたいな物を拝見。周りに文字が彫られている。人の名前のように見えた。年号は見当たらなかった。
これは手水鉢であろうか? こんな物は初めて見たと思います。
神社の入口付近にあった大きな石(その1で掲載)や上の写真の蒲鉾のような石。この神社は過去に使っていた物がこのような形で何気に置かれている。砕かれて形もわからない状態で捨てられるよりは、このような形であれ境内に残っているということは私にとってはとても嬉しいことです。
その3に続く。
最初の店から次の店に移動する途中で寄った神社です。JR五井駅から5キロほどの場所に御鎮座する八幡神社です。
上の写真の左下の方に写ってる大きな石。神社に入る前にいきなり想像させられてしまった大きな石が2個。
う~ん、私が出した答えは、いま建ってる鳥居の何代か前の鳥居の礎石ではないかな?と言う答えです。
私個人の考えなので、皆さまにおかれましては適当に聞き流してください。m(__)m
先へ進みます。
平成四年十月吉日と読めます。
おっと、強烈な眠気が襲ってきたので、本日はこれにて おやすみ とさせていただきます。(-_-)zzz
その2に続く。
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shumitei