July 2016
持って行ったカメラは10年以上前のフィルムを入れたKONICA C35です。
フィルムは27枚撮り。2日前に8枚ほど撮影していたので残り撮影可能枚数は20枚ほどです。
デジタルカメラみたいにパシャパシャとはシャッター押せませんわ。(笑)
荻作神社の目の前には長閑な里山の風景があります。
古いフィルムのため発色が悪いので同じ写真を白黒にして一枚。
石段はコンクリートです。おそらく昭和の時代に作られたのでしょう。
石段左側に祠が1宇ありました。祠の裏側を見ること出来ず。字は確認出来ませんでした。
石段を上がります。鳥居の年号を探すの忘れてしまいました。(;^_^A
灯篭や狛犬様がお出迎えしてくれます。この場所の右側に手水舎があります。
手水鉢に彫られているであろう年号は見つけられなかった。風化して見えなくなってしまったようです。
今回、私的に最大の発見は狛犬様に一番近いコノ灯篭でした。
写真では解りづらいが、『元禄四年(1691年)辛未二月~』と彫られている。いや~これには感激しました。
神社やお寺など今まで巡ってきた中で、自分の目で確認出来た一番古い元号になります。17世紀の年号が小さな集落の神社で見つけられるとは思ってもいなかった。
こちらの石碑には明治41年(1908年)4月?に御影敷石を奉納と彫られてます。
拝殿の後ろに本殿が見えてます。
拝殿の左側には摂社末社があります。
本殿の後ろ側にも祠があります。この鳥居の後ろに祠が6~7宇あります。その中の2宇に元号が確認できました。
この手前の祠は、安永 子 三月と読めました。ということは安永九年(1780年)ということになります。こちらの1700年代の元号に出会うのも結構少ないですから、今回は運が良いです。
そして手前から2番目にある祠が、文久元年(1861年)三月と読めました。
今回はフィルムの残り枚数が少なく撮影枚数少なかったが、江戸時代の元号に3個も出会えてとても良かったです。
こちらの祠には元号が見つからなかった。風化してしまったのでしょう。
こちらの石は単なる石碑では無いと思えます。神様がいらっしゃる祠として祀られているのだろうか?
ヤマユリ? この場所にだけ咲いていた。
裏側にあるお寺の山門。神社境内から見えてるので思わずパチリ。
明治時代以前のまだ神仏習合の時代、この神社とお寺は一つだったように思えます。
この山門を通ってお寺の石段を上がったところの両側に、誰がどう見ても鳥居の柱としか思えない石柱が建っています。
いろいろな事を想像するのも神社仏閣巡りの醍醐味だと今回は改めて感じました。(^O^)/
PS. 使用期限を遥かに超えた古いフィルムは、やはり使わないほうがいいですね。 使用カメラ KONICA 35
以下のユーチューブ動画の車両は大型牽引二種免許で無く、比較的取得者も多い大型牽引一種免許で運転出来ますが大型牽引二種免許取得以上の技術力が必要でしょう。
この動画、とにかく黙って初めから最後まで観てください。並みの映画より感動すること間違い無し。
観た後、私は目頭が熱くなり拍手していました。こんなの車両でこんな道を運転出来る人、日本に何人いるのでしょうか?
これぞプロドライバーですね。(^O^)/
撮影場所は埼玉県比企郡ときがわ町五明。撮影日時は1974年(昭和49年)の7月か8月です。
撮影カメラはオリンパスペンEE-2。この日は国鉄八高線の写真を撮りたくて小川町駅~明覚駅の間を歩きで移動してました。奥から高崎方面に向かう貨物列車がこちらに走ってきます。正面に見える山は『愛宕山』。この山の形が同じに見える場所をストリートビューで探しました。少しばかり場所を見つけるのに時間かかりましたが、この山があったからストリートビューでも場所が特定できました。
ストリートビューの撮影日時は2014年3月。私の撮影写真は夏。季節の違いありますが、平成の今の時代の方が景色が機械的に整然と整ってしまっている感じがします。昭和の景色はどんどん遠くへ行ってしまいますね。
https://www.google.co.jp/maps/@36.0155522,139.280201,3a,75y,152.54h,92.11t/data=!3m6!1e1!3m4!1skXkRPXBjQnHRiYnpj3VZTA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
PS.この日の撮影は何処の駅で下車して撮影するか決めて無かったので、何となく気分で下車した駅が小川町駅でした。そして途中で撮影しながら隣駅の明覚駅へ向かい歩き出しました。夏の暑い時にキツかった。この区間は八高線でも駅間の距離がたぶん最長区間だったと思います。約8キロです。参りましたね~。知っていたら途中で引き返していたのに。。。(笑)
ずいぶんと街並み家並が変わってしまったことを確認できる場所もあれば、写真撮影当時とほとんど変化してない場所が自分の写真の中にありました。
この写真は1981年(昭和56年)に友人に撮ってもらった写真です。場所は長野県佐久市茂田井という地区です。(左側の背が少し高い方が私です。このころは細かったな~。今では。。。笑)
この場所へは撮影以来行ってませんのでストリートビューで探すのもチョッと苦労しましたが、何とか街中を探しまわって、やっと撮影した場所を見つけました。
ストリートビューの撮影時期は2014年(平成26年)8月です。
33年の違いがあるのに面白いぐらいに変わってません。私の記憶では、当時この場所は何か特別な保存地区とかに指定されて無かったと思います。たぶん今も指定されてないと思います。
このように昔と今が変わらない!というのは、変わる!よりも感動するものですね。
https://www.google.co.jp/maps/@36.2734003,138.3390273,3a,75y,281.87h,89.13t/data=!3m6!1e1!3m4!1sPqRi_KvWrzZSOYOnd0ZY_A!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
場所は中野区本町2丁目。撮影時期は先日アップした昭和の写真と同じく昭和53年か昭和54年です。
全く撮影データは覚えてません。たぶんフィルムはネオパンSS? カメラはMINOLTA SRT-SUPERでレンズは写真から察すると35mmか50mmではないかな?と。。。なにしろ40年近く前のことなので確かなことはもう思い出すのは不可能です。(;^ω^)
前回の昭和の写真アップでも書きましたが、とにかく平成の今と見比べると住宅街の個人商店が驚くほど減少しているということが分かります。
街中も今より人気がある?というか、活気がある?というか、人間味があったように思えます。←(個人的感想ですので適当に聞き流してください。m(__)m)
道路を走っていく女の子、今は40代半ばを過ぎていますね。
それにしてもストリートビューは便利ですね。現地へ出向かなくてもこのように比較が簡単に出来てしまうのですから。撮影当時は、各家庭にコンピュータが入るなんてことは考えられなかったし、ネットで各家庭が世界に繋がるなんて想像すら出来なかった。だいたい当時の私の頭ではコンピュータと言えば冷蔵庫や物置みたいにデカく、数を早く計算するだけの機械で金のある大企業や国の機関が使う物と思っていましたから。(笑)
下記アドレスは2016年3月の上写真の同場所のストリートビューです。
https://www.google.co.jp/maps/@35.6928745,139.6807866,3a,74y,98.08h,87.9t/data=!3m6!1e1!3m4!1syIYmYPkIOfja-wUWhknpGQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
てな!訳で昭和の時代に撮影した写真をスキャンして久しぶりにブログにアップしてみます。
特別に何か撮影の目的があった訳でもないので漠然とした写真になってます。(笑)
ただ、それでも昭和53年か昭和54年に撮影した画像は平成の今見ると何かを記録していると感じてしまいます。←自己満足ですね。(笑)
それでは昭和53年か54年に撮った写真をどうぞ。
フィルムは白黒です。たぶんネオパンSSかな?
1枚目。銀座ソニービル。
2枚目。銀座の裏道。
3枚目。中野区中央3丁目。
下のアドレスは今の中野区中央3丁目の同じ場所です。昭和の時代の方が個人商店が元気でしたね。https://www.google.co.jp/maps/@35.6995005,139.6753607,3a,75y,102.98h,104.21t/data=!3m6!1e1!3m4!1shBtbEScehOvwWt23zx4wxQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
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