February 2015
今回の神社は小湊鉄道の飯給(いたぶ)駅から見える神社です。
駅舎&ホームから見えてます。神社に行くにはこの写真を撮ってる位置からまっすぐには行けません。近くの踏切を渡って神社へ行きます。
踏切へ向かいます。この写真の右側が踏切になります。だいぶ以前からあそこに鳥居があるのは気が付いていたが、踏切の県道から神社までは未舗装の農道(畦道)のため行く気がでなかった。(ほとんどバイクでタンデムの為)
今回は車でしたから神社の鳥居のところまで車で行くことも可能でしたが、なんとなく車で道を荒らしたくない気になったので駅に車を駐車して歩いて行くことにした。
踏切の脇を線路沿いに下って行きます。
田圃と農道の間には猪猿鹿などから農作物を守る為の電気柵が設置されている。
電気柵に触れぬように気をつけましょう。
鳥居が近くに見えてきました。
振り返ると飯給駅が静かに夕暮れを待っているようだ。時刻はすでに16時近くなっている。曇っているせいで晴れてる日の同じ時刻よりもかなり暗くなっている。
森の中はなおさら暗い。手振れ写真になる可能性が多い。(^_^;)
先を急ぎましょう。奥には綺麗な石段があります。こんな立派な石段があるとは想像して無かった。鳥居手前の石段は5段。
鳥居は平成9年9月吉日の奉納。この今の鳥居が建つ前はここに鳥居があったのであろうか?
木製の灯籠も平成9年9月吉日の奉納。この灯籠が建てられてから今年で18年になるが木はそれほど黒っぽくなっておらず、まだまだ新しい感じがするぐらいです。この辺りの木々の葉が雨の直撃をかなり防いでくれているようなので灯籠の木も長持ちすると思います。
鳥居を過ぎると石が敷かれた参道がまっすぐに30メートルほど続きます。
参道両脇の杉が美しい。
こちらの石段は途中3カ所に小さな踊り場的段がありますが下から上までで71段の石段です。
その2に続く。
バックドロップその1
バックドロップその2
その3からの続き。
社殿の建ってる境内から下を見る。けっこうな斜面である。
そろそろ下界に戻ります。
まずは公民館のような建物がある境内に下ります。
暖かそうな陽射しが建物を照らしています。なんだか時間が止まってしまった感じ。
参道両端にある石の土台は絶対に鳥居が建っていたと思います。
苔は神社や寺に妙に合う。こんなに苔が綺麗ということは訪れる人も少なく踏まれるということも少ないからでしょう。
房総の山は低いです。だから昔から人々が住みやすかったと思われる。結果、集落が多く神社(氏社)が多い県になったのではなかろうか? ←(あくまで個人見解ですので適当に聞き流してください。<m(__)m>)
山が低い房総ですが山と山の間には隠れ里のような集落が沢山あります。そしてそこには氏社が静かに集落を見守っています。
拝殿と本殿。
凄い。ここまで横になっている大木見たことない。
木漏れ日が優しい影を作っている。
さあ、帰路につきます。
本日の走行距離168キロ。
使用カメラ PENTAX K-X
PS.遅くなりましたが初走りがやっとできました。(笑)
石段を登った右側には熊野神社社殿があります。写真右下手摺のある場所が石段です。こちらも山の斜面を平らにしたスペースに建ってます。広くも無いスペースなので拝殿と本殿が一つの作りになっているかと思いましたが後ろに回ると立派な本殿がありました。
拝殿の右側には水盤がありました。その2に写っている摂末社の水盤の方が大きいですね。
この水盤も文字を見つけようと回りを一回りしたが『奉献』以外の文字は確認出来ずでした。せめて元号(年号)ぐらいは知りたいな~。
どこかに文字が彫られていたのか? 普通は彫られているものですが、その痕跡さえ私には見えませんでした。
水盤自体わりと綺麗に見えるのですが表面の風化が激しいのでしょうね。
拝殿左側には自噴井戸?湧水がありました。湧水量はジワジワと地面を乾かぬ程度に濡らすぐらいです。昔はもっと湧水量が多くてお清めの水に使われていたのでしょう。
拝殿の後ろ側を見てみます。本殿が少し見えます。山の斜面を切り開いた平らにしたスペースに社殿が建っているのが解ると思います。社殿の左両側は山になっていて平らなスペースが殆ど無いです。
社殿右側に回ります。奥に本殿。
こちら右側もすぐに崖が迫っていて左側同様あまり平らなスペースはありません。
拝殿と本殿をつなぐ通路。
社殿右側は、、、
すぐこんな感じ。手摺もありません。足を滑らしたら船橋ヘルスセンターの大滝すべり状態になり写真中央の陽射しの中に立ってる木のあたりまで止まらないと思われます。
社殿の土台はコンクリートでは無く石が使われてす。本殿は盛り土の上に建ってます。外側を石で固めてあります。本殿の柱は礎石の上に乗ってます。
拝殿の手前地面にある3個の大きな石が気になる。
う~ん、何でしょう? もともと自然にあったとは私には思えない。鳥居が立っていた? 狛犬様がいた? 灯籠があった? 灯籠説が一番有力だと思いますが3個が気になる。でも真ん中にも灯籠があったら参拝の邪魔になる。 昔の人が結界として置いたのであろうか? それとも本当に自然の置き物か??? なんか想像するだけで楽しくなります。
拝殿の前は自噴井戸(湧水)流れがあります。水量は湿っている程度。雨などを流す為に人工的に造られた溝でしょう。
そう言えば集落に古くからある神社(氏社)には石の祠が必ずと言えるほどあるのが普通ですがここではまだ一宇も見ていません。石段の途中にあったのが祠ならば一宇みたことにはなりますが。。。すこし辺りを探す自分。
その2で写ってる摂末社の後ろ側を見た時についに発見。
失礼してフラッシュを焚いた。もう少し落ち葉などが積もったら発見できないですね。そうなったらただの石と間違えてしまいそうです。氏子の方でもこの祠があることを知らない方もいるのではないでしょうか?
もしかするともっと祠があったのかもしれませんが私はこの祠しか見つけられませんでした。
その4に続く。
参道が続き2番目の石段があります。参道の両脇は石で区切られている。この石も苔生していて古さを醸し出している。石段の右傍らに今は使われていない井戸があります。
水を受ける石台は大きく欠けている。手前の丸い石が上から落ちてきて水受け石台を割ったのであろうか?
しかし、よ~く見れば見るほど妙に丸い。これってもしかすると神社でよく見かける『力石』? 違うよな~?
う~む、解らん!
さて2番目の石段。こちらは40段あります。最初の石段もこちらの石段も急登度的には怖さは感じない程度です。しかし、転げ落ちると骨折ぐらいはしそうです。(^_^;)
石段中腹左に祠?のような石塔があります。
近くに寄ってみます。
風化で彫られていたであろう字は一つも読み取ることは出来なかった。
先へ進みます。
社殿のある境内に登ってきました。石段最上部両側には親柱がありました。
下の石段にあった親柱とは風化の度合いが違い過ぎる。下の石段とこちらの石段は造られた時代が違うのか?
親柱には「明治40年4月竣功」の文字がはっきり読める。親柱の風化の違いから想像するとこちらの石段の方が新しいと考えるの無難みたいです。苔生した石段だけ見て比べると同時代に造られたようには見えますけどね。(笑)
石段4を登り切った境内正面には社殿は無く左側に摂末社があります。山の斜面を少し平らにした場所にあります。
立派な水盤もあります。奉納の字がはっきり解ります。
風化もそれほど進んで無いと思われましたが、、、
正面の「奉納」以外の字は何一つとして読み取れませんでした。残念。。。
次は石段登った右側にある熊野神社社殿に進みます。
その3に続く。
集落の小さな神社などでは駐輪する場所が平坦で無い場合も多く、路面とタイヤの間に石などで車止め&ギアを入れたままにして駐車する事も多々あります。
石段を上がります。手前が陽射しで明るく奥が暗いため奥がよく見えませんが奥にも石段があるようです。
下から10段ほどコンクリートで補修してる箇所もありますが全体的には古い感じが昔の時間を感じさせてくれる石段です。
苔生し角が取れて良い感じ。これこそ石段ですね。コンクリートで近年作られた階段でも個人的には石段と呼びたいのですが、、、、、神社に階段という言葉は合いませんよね~。
最初の石段は32段。登り終わったところで振り返ってみます。
山村の氏神様ですね。陽射しが気持ち良い。
石段両側最上部には親柱があります。本来なら建立日付など彫られていたのでしょうが字などは全く見えませんでした。
石段も親柱も角が取れるのにどれくらいの年月がかかるのであろうか?
石段を上がったところ直ぐの両側に上部コンクリート下部石の台座があります。
個人的見解ですが、これはかつて鳥居がここに建っていたであろう想像します。その土台と思います。
最初の石段を上がった場所の境内には現在は使われていないと思われる集落の公民館?があります。
(因みに私の住む地区の公民館は神社の敷地内にあり今も現役です。)
正面を見ると次の石段が見えてます。さあ進みます。
その2へ続く。
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shumitei