『房総ぶらり神社仏閣巡り』

観光客が訪れることも無い房総の小さな集落にひっそりと佇む神社やお寺をバイク(タンデム)で巡ってます。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

May 2014

MC実用百科’75 その2

その1からの続き。  

個人的にはヤマハTX650とカワサキ650RSが好きです。TX650は女性的な音で650RSは男性的な音で対照的な排気音でした。音質は違いますがどちらも歯切れのいい良い音を出していました。ただ650RSはマフラーの芯を抜いたり社外品のキャブトンマフラーを付ける人も多く少し騒がしい650RSも多かったです。
全体のシルエットの美しさは、これぞ日本という感じに思えます。エンジンにも日本の造形美の美しさを感じます。この時代はどのバイクも個性が今の時代のバイクより強かったように思います。

確か1974年にCB500FOURがCB550FOURになりました。この本はCB550FOURになってますね。
それからカワサキ750SSの最終型は1975年発売だったと記憶があるのだが、この本には載って無いですね。もしかするとこの本が発行される以前に生産終了の情報が業界に伝わってのかもしれませんね。
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MC実用百科’75 その1

捨てられないで持っている本を久しぶりに引っ張りだして眺めてみた。
それは、『創刊300号記念出版 モーターサイクリスト別冊 MC実用百科’75』 である。
この本が発売されたのは確か1975年(昭和50年)早々だったと記憶している。
この頃は自動2輪免許が現在と同じように教習所で取得出来た良き時代でありました。16歳になるとすぐに教習所で免許を取り、750㏄を親に買ってもらい乗っていた奴も少なくなかった。(笑)
そんな良き時代の本です。(ちなみに昭和50年10月1日から平成8年8月31日までの期間は401㏄以上の免許は一発試験でしか取得することが出来なくなりました。)
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中を開けると、執筆者に『堀ひろ子』さんの名前もあります。なんだかとても懐かしいです。750㏄の価格、いまこの価格だったらな~。
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国産4メーカーの広告。
ホンダ
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ヤマハ
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スズキ
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カワサキ
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国産車アルバムのページ、後日アップしていきたいと思います。

セロー

最近はエンジンこそ定期的にかけてはいるが外で走らせることは全く無い。最後に外を走らせたのはいつか?調べてみたら2009年2月21日が最後でした。近所の農道に走らせに行きました。
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その前に走らせたのはいつか? それは上の写真の日から2年8ヶ月前にタイヤ交換に出かけた時で2006年6月25日でした。(ドライバーズスタンド市原店にてタイヤ交換待ち中に1枚。)
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さあ、次に走る日はいつ???(笑) 

浅間神社 (市原市下野) その2

その1からの続きです。

社殿正面です。
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左側より奥に向かいます。新しい感じの祠があります。
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奥に本殿がありました。そうすると手前が拝殿になります。
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祠です。天神様と彫られてます。
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平成9年1月吉日に奉納された祠です。それ以前にこの場所には古い祠があったと思います。ここにも江戸時代から氏子を務めていらっしゃる方の子孫の方の御名前が彫られていました。集落の小さな神社は氏子さんたちの力で後世に引き継がれていくものなんだ!と今日はつくづく感じることができました。               s-DSCN7843
 
本殿です。半分から下が板の隙間から中が見えるようです。
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私は基本的に拝殿や本殿の中にカメラを向けることはしませんが、今回少しだけ撮らさせて頂きました。神様,
すみません。写真撮らさせて頂きましてありがとうございました。m(_ _)m
すごい複雑ですが美しい作りです。 
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大きくはないですが美しい作りで感動しました。本殿を守る外側の建物はいつごろ建てられたのでしょうか?
もちろんそれ以前は、この中の本殿が風雪雨に直接さらされていたことでしょう。社殿も誰でも見れる場所に建てられた年号が記されていれば良いのですけどね。
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社殿の回りを見ると何かしらに使われていたであろう古い石がありました。とくに手前より奥の木の根元にある石の方が古い時代に何かに使われていたような人工的な形をしています。  
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拝殿と本殿の右側です。本殿後ろ側は川になります。今は川は掘り下げられて低い場所を流れていますが、おそらく昭和40年代くらいまでは昔の流れのままで神社の後ろ側から川に降りれるくらいの位置を静かに流れていたと思います。
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御神木と思われる木から陽射しが差し込んできます。
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今日も江戸時代の年号に会えて満足できました。そろそろ帰ろうと思ったところで???手前に建ってる石は何???妙に気になりはじめました。
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神社に着いた時に目に入っていたのですが、祠や道祖神の形でも無いので土地の境界を表している石かな?と思い気にも留めなかったが、帰り際に一応見るだけ見てみるか?と近寄ってみました。
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すると? 『道祖〇』の道祖の字が彫られているではありませんか。おそらく長い年月の間に土台が削れたか?欠けたかして、そこへ風雨や地震も加わり倒れてしまったのかもしれません。それをこのように土台を新たに作り建てたのかもしれません。
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道祖神と言えば男女の姿が彫られていたりするのを思い出しますが、この道祖神は文字だけのようです。
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裏側です。ちょっとデコボコしていて凹んでます。どうしてでしょうか?古い石の祠も裏側を見ると大体はこのようにデコボコしていて凹んでます。両横面や表面と比べると裏側だけこのように削れる(風化)のはありえないと思えるのだが。もし何かが彫られていてそれらが削られたとするなら、幕末から明治にかけての『神仏分離と廃仏毀釈』と何か関係があるのだろうか?←考えすぎかな?(笑)
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右側側面に安政3年(1856年)の文字があります。もっと下には〇月まで彫られていたはずです。とにかく近くで確認してよかったです。さっさと帰っていたらこれが道祖神と解らないままでしたから。(笑)
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明治神宮や靖国神社のように明治時代以降に建立された新しい神社も多々ありますが、いまあるほとんどの神社は江戸時代にはすでに建立されていた神社です。
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江戸時代に村として名前があった村内には必ず1社は神社があるはずです。江戸の昔、神社は村の中心地であり村人の心の拠り所であり、また今で言う公民館的な場所であったのでしょう。
まだ私が訪れた神社数は少ないですが、小さな集落の神社を巡っていて最近、神社とは本来そのような場所なんだと感じました。
これは有名どころの大きな神社だけを巡っていては絶対に気が付かなかった事だと思います。
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どんなに小さい村の鎮守様でも日本の文化遺産と思います。

使用カメラ NIKON  COOLPIX7600 

犬のお散歩&夕景

25日(日)夕方のお散歩。
今の時期は田圃にたくさん水が送られてます。良いお米が収穫出来ますように。
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あれ、手前水中の底にカエルの足が、、、カラスにでも食べられた残骸でしょうか?
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先日の散歩時より稲は確実に育っている。
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我が家のパピヨン♀6歳8ヶ月。
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太陽が沈んでいく。
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逆さ鉄塔
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田圃道路脇、アスファルトの隙間で咲いている黄色の可愛い花。名前は???
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使用カメラ CASIO  EX-S2
 
PS. パンフォーカスカメラなのでシ画像のシャープさは期待できませんが、ピントのあまい雰囲気はいい味があり個人的には大好きです。(笑)

浅間神社 (市原市下野) その1

昨日24日(土)は買い物の帰りに市原市下野に御鎮座する浅間神社に寄ってみた。神社は入口側から社殿に向かって若干低くなっている。社殿の裏手がすぐ川になっている地形のためですね。おそらく大昔はその川で身を清めてから参拝したこもしれません。もちろん今は川は深く掘り下げられて簡単には川に降りられません。
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鳥居です。
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集落の中のこじんまりとした神社です。
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鳥居は昭和48年6月吉日の奉納に読める。昭和48年にしては見えなさすぎですね。(^_^;)
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鳥居を潜ると灯籠、狛犬様、社殿となります。左の灯籠の後ろの木が御神木のようです。銀杏?だと思います。
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灯籠は平成4年7月吉日の奉納です。
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左側の狛犬様。狛犬様も新しい感じです。
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右側の狛犬様。
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 少し字が見えにくいですが狛犬様は昭和58年1月吉日の奉納です。 
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 社殿も古い建築ではないですね。この時点で、私はこの神社で古い年号と出会うのは無理と諦めました。長い年月を越えてくればいくら石で作ってあっても壊れてしまう日が必ず訪れます。そうなれば新しく作られた物が奉納されるのも当然です。社殿前に進んでから気が付いたのですが右側に水盤がありました。下写真右側の狛犬様に重なって水盤が少し写ってます。
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右側に小型の可愛らしい水盤があります。
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 ここで振り返った眺め。
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水盤です。これは時代を感じます。
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水盤右側面には天保14年(1843年)3月吉日とあります。この神社で古い年号に出会うのは諦めていたので、この水盤を見た時はとても嬉しい気持ちになりました。
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この奉納と彫られた文字、江戸時代の雰囲気がします。
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裏側は文字無いようです。
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左側面には氏子さん2人の名前が彫られている。先に見た灯籠の奉納碑や狛犬様の台座部に彫られている氏子さんたちの名前の中に同じ名字がありました。こちらは御先祖様の名前ですね。江戸時代の御先祖様の名前がこういう形で残っていて目で見ることが出来るのはとても素晴らしいことだと思います。
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その2へ続く。 

愛宕山神社 (君津市東粟倉) その4

その3からの続きです。

正面に社殿があります。
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振り返った景色。写真中央少し右側あたりに登ってきた石段があります。江戸時代の頃は村の多くの人たちがここまで登って来てお参りをしていたのでしょう。当時の村人たちの話し声が聞こえてきそうな気がします。
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社殿を見ると近年に建て替えられてるようです。古くても昭和30~40年代頃に建てられたように思えます。写真をよ~く見ると社殿左奥に石段が、、、祠がありそうです。
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祠があります。手前には可愛らし小さな水盤もあります。
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小型の水盤です。
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う~ん、風化で見えにくい。『明』と『月』と『吉』だけはハッキリ解るがこれだけでは。。。明治以前に頭に明が付く元号は明和である。明和年間は明治時代になる100年も前の時代である。この愛宕山神社にある狛犬様や灯籠の年号を見た限り(年号解らない狛犬様や水盤もあったが)では、この水盤が1700年代の明和年間のものとは考えにくい。元号はおそらく明治であると思われる。←あくまで個人見解ですので聞き流してください。(^_^;)
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祠が2宇あります。
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いつもなら近くへ寄って文字など探したいのですが、その2にも書いた理由で上まで行かず今回は望遠アップ写真で我慢しました。(でもよく見るとこちらは苔も草も少なくジメジメしてないですね。頑張って上まで行けば良かったかな?
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社殿は拝殿と本殿が一体の作りです。
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この縁側?部の突き当りの場所から後ろは何か付け足したように思えます。
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吊るしてある木の板を叩き音を出す道具ですね。正式名は何でしょうか?(笑)
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今も使うことあるのでしょうか?
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それではそろそろ下界に向かいます。登ってくる時より要注意です。転がりだしたらおそらくアウトでしょう。
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その2のとき近寄れなかった2宇の祠は本参道から見えました。
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やっと見えてきました。下界が。
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今回、相方はバイクのところでお留守番してました。なぜでしょう?
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答えは、、、蛇が死ぬほど嫌いだからです。これからの季節は草木が茫々としている神社は中まで一緒に付き合ってくれそうにないです。(笑)  私も蛇は嫌いですよ~。
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帰りは君津IC近くの『四季の里』へ2~3年ぶりに寄りました。琵琶ソフトの張り紙があったので注文したら今作ってるので20分ほどお待ちくださいとのこと。バニラならありますですって。待ちました20分。すると待たせてしまったので少し大盛りしましたと店員さん。
その後、内陸部に戻り小櫃~飯給~鶴舞~ウグイスラインで帰宅。

PS. 国道409号からウグイスラインに入り3~4キロほど行った(ゴルフ場の入口を過ぎたあたり)右側の畑の中に体長1メートは超える大きなイノシシ(あの容姿はオス)が一匹いました。それも道から15メートルぐらいの近い場所に。。。あんなのが道へ飛び出してきて激突されたらと考えると恐ろしいです。
それにしてもイノシシの生息範囲が房総では広がってるように感じます。それも人や車を恐れずで。
私の感覚では国道409号より北側は山も少なくなるし人も多くなるからイノシシはいないと思っていたのですが、その考えは変えなければなりませんわ。だって見てしまったもの

使用カメラ PENTAX  K-X 

本日の走行距離200キロ。  

愛宕山神社 (君津市東粟倉) その3

その2からの続きです。

本参道に戻って残りの石段を一気に登りました。登り切った上から下を見る。
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簡単に書いてしまいましたが石段を登り切った時は心臓パクパクで脚はガクガク状態でした。中年太りの体ですから、このまま心肺停止になるのでは?と不安が頭をよぎりました。←マジで(^_^;)
石段はバイクを駐車したとこから上まで277段ありました。(2~3段は数え間違えあるかもしれません。汗)
ここ愛宕山神社の石段は私が今まで登った寺社の石段(階段)の中では第3位(277段)の段数です。ちなみに1位(香川県の金毘羅さん)、2位(山形県の山寺)です。(笑)

写真上部の黄色丸印あたりが赤い鳥居の場所です。
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写真では石段の急登が解りませんね。(笑) 地元の方も滅多に登ってこないと思います。本当に年配者や子供には危険だと思えます。
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こんな感じで社殿の建ってる境内に登ってきます。
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石段を登って左側を見ると社殿が見えます。水盤と灯篭があります。
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灯籠のあたりがちょうど女性のウエスト部のように細く見えます。一番幅が狭い場所のように感じます。左右の灯籠の間は5~6メートルほどでしょうか? 左右の灯籠の外側はほとんど崖に近い状態で落ちてます。
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左側灯籠あたりから下を見る。ほとんど崖に近い。落下防止の柵など一切無いので注意が必要です。
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右側灯籠あたりから下を見る。こちらの方が左側よりもっと急激に切れ込んで落ちてます。もちろん柵無し。あまりギリギリまで足を踏み込むと崩れそうで怖いのでここが限界です。写真ではどの程度の崖かイメージ湧かないですね。(笑)
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では水盤を見てみます。
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表面には細かい文字がたくさん確認できるが解読は無理でした。裏側と両側面はよく見たのだが文字の有無も解らなかった。
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左側灯籠。灯籠は中央部の灯りと燈す部分が構造的に弱いようで、古い灯籠は殆どこの部分が無くなっていることが多い。また、年号が古いわりにはこの部分だけやけに新しい石に見える灯籠もたまに見かける。そのような灯籠はその部分だけ新たに作られている場合もあるのではなかろうか? この灯籠の灯の燈る部分はオリジナルと思えます。
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文化13年(1816年)の灯籠です。もしかしたら12年???
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右側灯籠。灯の燈る部分はありませんでした。重い傘部が上に乗るのに灯の燈る部分の構造は少し空間が多過ぎるように思えます。40~50年の時間なら解りますが100~150年の時間となると、この作りだと潰れる場合もおそらくあるでしょう。
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干支が丙子とありますから文化13年で間違いないと解ります。ただ月が??? 6月に思えるが、これは判断出来ませんね。。。(>_<)
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その4へ続く。

愛宕山神社 (君津市東粟倉) その2

その1からの続きです。

鳥居を潜って先へ進みます。一直線の登りです。きつそう!(@_@;)
まずは近年に出来たコンクリート石段。
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そして古い石段が始まります。急登度的には、かなり危険と言えると思います。昔の石段は足を置く場所の幅がとても狭く15センチくらいしか無い。おまけに一段一段が角が取れて苔むしていて手前下側に少し傾いてきてるので、油断すると石段を踏み外しかねない。
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とりあえず登りより帰りは特に注意しないといけません。石段踏み外したらかなりヤバい状態になること必至!
とにかくこの神社の石段は子供や老人、ご婦人方にはお勧めできません。
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上の石段を登ったところで右側に祠(摂社)がありました。その手前に立派な狛犬様と灯籠があります。灯籠はかなり傷んでます。右側の灯籠は傘部が手前下に落ちてます。灯が燈る部分は両方とも無くなってます。
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ここの狛犬様のアップ写真は撮ってません。すみません。(^_^;)
左側の狛犬様の土台石には慶応2年(1866年)寅と確認できます。
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手振れ写真になって見えにくいですが、右側の狛犬様の土台石には3月?と読めます。慶応2年3月の奉納の狛犬様。まさに幕末の激動の時代に生まれた狛犬様です。
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左側灯籠です。灯を燈す部分も無いですが年号が彫られてる部分も無くなっている。10年という文字だけが見える。いったい年号(元号)はなんであろうか?
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右側の灯籠です。己亥の7月とあります。この灯籠は天保10年(1839年)7月の奉納ですね。干支が見えなかったら元号が解らなかったです。解って嬉しいです。しかし両側の灯籠とも足のこの部分で折れてます。左側の灯籠は足の上部分が無くなってます。いったいどこへ行ってしまったのか? 右側灯籠の傘部のように近くに落ちて土や落ち葉で埋まっているのか? 
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とにかくこのような文化遺産的なものは末永く残していきたいですね。
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灯籠を越えると20段ほどの石段があります。
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その石段の奥に祠が2宇?だと思いますがあります。いつもだと草薮にでもなっていない限り祠の近くまで行き写真を撮るのですが、この日はどうも蛇や山蛭が出そうな気がしてあまり深入り出来なかった。意気地無しですね~。(笑)
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では本参道の石段に戻ります。うわ~((+_+)) 急登です。落ち葉や苔が目立ちます。本参道でも湿気もありそうで蛇や山蛭が出そうです。これからの季節(夏)はなるべく風通しが良く草藪や落ち葉、苔の少ない神社を巡ったほうが良さそうです。そうすれば今回のように祠に近づけないような事態にはならないですしね。ここの神社は冬に再訪したいです。
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鉄パイプの手すりが付けられてます。鉄パイプ手すりがあると雰囲気が壊れますが、これも人命第一安全の為です。でももう少し回りに溶け込む色にして欲しいですね。
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少し前より足と心臓が唸り始めてきました。
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少し石段を登ると今度は左側に進む石段がありました。先ほど右側の祠へ行く石段もそうですが、もう何年も人が歩いてないように思えます。石段を登った右側に大きな穴が開いてます。そこに祠があるのでしょうか?
先に書いた理由により、頑張りましたが私は4~5歩しかこの石段は進めませんでした。写真はここまでで本参道に戻ります。
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戻った右側あたりには『小?岳』とある石碑があります。石の形からすると富士山に思えます。もしかすると『小御岳』信仰とかあったのか???
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では本参道へ戻ります。

その3へ続く。  

愛宕山神社 (君津市東粟倉) その1

17日のお散歩です。

今日は神社に行く前に道の駅 『おおつの里 花倶楽部』久々に寄ってみました。ここは以前5~6回ほど寄ってます。大き過ぎず混まず!という感じで好きな道の駅ですが、最近は御無沙汰していた場所です。
行ってみると以前より駐車場(砂利ですが)が増えてました。(以前からあったのか?私が気が付かなかっただけか?) ひとつ残念なのがカフェが無くなっていた事です。とても雰囲気が良かったのですが、、、残念です。
カフェが無くなってしまったことで個人的には道の駅『おおつの里 花倶楽部』が少し寂しくなったように感じました。(>_<)
続いてオニギリタイムの為に道の駅『三芳村 鄙の里』へ。ここはベンチテーブルもたくさんありますから弁当持参組の方も利用しやすいです。オニギリタイムが終わったところで目的の神社へ向かいます。

場所は有料道路の房総スカイライン入口(東粟倉)のすぐ近くです。
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すぐ目と鼻の先に房総スカイライン東粟倉の交差点があり車やバイクがたくさん走ってます。
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それでは神域へ向かいます。う~ん、奥の石段はどうなっているのだろうか? 途中から右か左に曲がっているのか? なんだかよく見えません。
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その前に狛犬様を見てみます。
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右側の狛犬様のアップ写真を取り忘れてしまいました。(^_^;)
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年号はとても読める状態ではなかった。『廿六年四月』のような字は見えます。おそらく明治26年4月の奉納か?
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それではそんなに古くはないコンクリート階段を上ります。
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鳥居を潜ったところにも狛犬様がいらっしました。
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左側の狛犬様。かなり古い時代に作られたのか? 前足は無くなっています。お顔も表情がわからないほど浸食がすすんでます。土台石部も浸食が進み彫られていたであろう文字は全く見つけられません。
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右側の狛犬様のお顔はハッキリしてます。しかし左前足は取れていました。土台石はかなり角が取れています。土台石も最初からここまで角が無かったとは思えません。浸食が進んでますね。この状態ですから、当然こちらにも文字は見つけられませんでした。
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それでは社殿を目指します。コンクリート階段は見の前に見えてる階段まででした。
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このコンクリート石段の先からは古い苔生した石段が始まります。バイクを停めた神社入り口から見た石段は周りの木や草の色と同化していてよく見えなかった。途中から参道は右か左に曲がるのか?とも思った。だから、それほど社殿まで行くのは大変では無いだろうと思っていたが、、、鳥居を潜った所からみるとまっすぐな石段、、、(恐)。 ケーブルカーの始発駅ホームから進行方向を見るとレールが途中から真上に向かってるように見えますが、それと同じような感じに見える。。。中年の太った体では。。。(((( ;゚д゚)))
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心臓麻痺が頭を過る。その2へ続く。
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