5月10日をもって廃線になるそうです。いままであったものが無くなるのは寂しいですね。
江差線が無くなると聞いて久々に北海道のJR路線図を見てみました。
思えば自分が北海道に行ったのは『SLが無くなるから写真を撮りに行こう』と昭和50年7月の終わり頃です。その頃の路線図と比べると、今の北海道の鉄道路線図はスカスカという感じです。残ってる路線でも昭和50年当時よりは運行本数が大幅に少ないのでしょうね。それだけ自動車を使う比率が増えた!というより自動車の方が便利だから鉄道離れになったということですね。どう考えても今の日本では都市近郊以外では鉄道路線が減ることはあっても増えることは無いでしょう。寂しいですが減るを止めることは出来ませんね。
April 2014
19日(土)は買い物の帰りに車で『山王大権現』に寄ってきました。近年に整備された住宅地を抜けると長閑な里山に風景が一変します。ほんの1~2キロほど先には都会的マンションや住宅があったりするのに、突然どこかの田舎に足を踏み入れてしまった雰囲気すら感じます。
県道沿いに神社はあります。この県道は20年以上前から何度も通っているのに、この鳥居(神社)に気付いたのは今年になってからです。(^_^;)
鳥居左手前に祠が3宇があります。
風雨にさらされる場所ですが彫られている字は比較的読むことが出来ました。
3宇とも正面には『道祖神』と彫られています。
一番右側の祠は、天保9年(1838年)5月吉日に建てられた。
中央の祠は、寛政4年(1792年)正月吉日に建てられた。
残念ながら一番左側の祠は年号が見えなかった。
失礼して裏側からも1枚撮影させて頂きました。
建てられた方のお名前ですね。
姓の次に『氏』と彫られている。
こちらも『氏』と彫られている。この祠の年号が見えないのが残念である。おそらくフルネームで彫られている祠より『氏』を彫られている祠の方が古い時代の祠と思えます。(年号が確認できた祠2宇と同じ道理で考えればですが。) ※時間が16:30ぐらいで天気も曇りの為、シャッター速度遅くなり写真が手振れにより見ずらくてスミマセン。)
その2に続く。
お墓と言ってもお寺ではなく市営霊園なので雰囲気的には公園です。芝生でシート敷いてお弁当食べてる家族や寝そべっている人、犬の散歩の人、ジョギングの人などなど。私共はお墓参りの時は必ず犬も連れて行き、お墓参りすませてから犬を連れて霊園内を一回りします。霊園は自然が沢山あり四季をたっぷり感じる事ができます。ちょうど今は新緑がとても綺麗です。緑のシャワーを浴びるようです。
サービスカット『カラスの行水』も見れました。
ボタン桜かな?
モミジの紅葉。年2回紅葉するモミジもあるそうです。今まで知りませんでした。(^_^;)
ツツジ? 違うよな~?
とにかく沢山の花が咲きだし目を楽しませてくれる季節ですね。
使用カメラ NIKON COOLPIX7600
その5からの続き。
立派な拝殿です。この諏訪神社は神職の方か氏子の方が朝夕に寄られているようですね。拝殿正面の戸が開いてます。
後ろに本殿が見えます。左の斜面には白い小さな可愛い花がたくさん咲いてます。
何という花でしょうか? 花にはまるで弱い自分です。(^_^;)
拝殿と本殿は廊下で繋がってます。
拝殿には見られなかった獅子が本殿には飾られています。
狛犬様と同じ顔をしてますね。狛犬様と言っても本当は犬ではなくて獅子がモデルなのでしょうか?
ここにも祠がありました。
この地を守る神様ですね。
鋲打ちで奉納という文字が打たれている御賽銭箱。
お参りをすませて駐車場へそろそろ戻ります。
社殿両脇に夫婦銀杏があります。両方の木とも途中で切られています。病気になったのか?それとも虫食いでしょうか?
上部が切られていなかったらかなり背丈のある立派な銀杏でしたでしょう。切られた理由は何だったのでしょう?
こちらにも祠がありました。
参道を下ります。
鳥居が見えてきました。帰りはここから駐車場へ直接向かうため左折して石段を下ります。
駐車場から上の参道までは40段の石段です。
山の麓の神社入り口の鳥居より手水舎までの石段は全部で186段になります。この駐車場からではなく、神社入り口の鳥居から歩かれる方は急がずゆっくり歩きましょう。石段が無い場所でもなだらかな坂道になってますので、一気に登ると結構キツイです。体の弱い方や年配者の方はとくにゆっくり歩きましょう。
それでは帰路につきます。
帰りは国道410~長狭街道~鴨川~安房天津~清澄養老ライン~ウグイスラインで帰宅しました。
PS.安房天津から清澄養老ラインを上がって行くところでループ橋の工事が随分前から行われているような気がするのですが、はたしていつ完成するのでしょうかね? どなたかそのあたりの情報を知ってる方、いらっしゃいますでしょうか? いらっしゃいましたらぜひ教えてください。<(_ _)>
本日の走行距離190キロ。
使用カメラ NIKON COOLPIX7600, PENTAX K-X
その4からの続きです。
正面が拝殿です。
手前に灯籠、石段の上に狛犬様がいらっしゃいます。
まずは左側の灯籠を見てみます。燈の灯る部分も潰れずにしっかり残ってます。
『奉獻永代祈祷』と彫られてます。
文化7年(1810年)の文字が見えます。
文化7年(1810年)9月吉日に奉納された灯籠です。
土台部には作った職人の住所と名前?が彫られている。『江戸 芝〇通富山町 〇〇〇七』←〇は何という字でしょうか? 私には解りませんわ。(笑) でも目の前でこの彫られてる字を眺めていると江戸の石工職人さんの声や息づかいが聞こえてきそうです。
続いて右側の灯籠です。
文化7年の灯籠ですが石の表面は欠けてる部分も少なくとても綺麗です。
この灯篭はあの坂本 龍馬が生まれる26年ほど前に作られていた!なんて考えると何か不思議ですね。
拝殿前の狛犬様を見てみます。
左側の狛犬様。
右側の狛犬様。ここから見ても年号が解りそうなぐらいハッキリ見えます。
一瞬、昭和9年と見えてしまいました。(笑)
明和9年(1772年)2月吉祥日の奉納です。今回の狛犬様は私が今まで遭遇した狛犬様の中で一番古い(年配)狛犬様になりました。
(因みに私が今までに見た狛犬様で一番古いのは安永2年(1773年)6月奉納の狛犬様です。今回出会った狛犬様より1才若いですね。→http://bousou-no-sora-no-shitade.blog.jp/archives/4440992.html)
今日は江戸時代の年号に3個も遭遇出来てとても嬉しいです。
その6 に続く。
先へ進みます。ここからの参道は駐車場からの道と一緒になるため人も多く通ります。その3までの参道とは違い綺麗に整備されてます。鳥居の手前石段から奥石段上までは30段あります。
こちらの鳥居には奉納年号が彫られてます。大正拾弐年9月吉日と見える。弐がひじょうに見えずらいがおそらく大正12年(1923年)で間違いないと思います。という事は9月1日に関東大震災が起こってますので、地震直後に建てられたことになります。関東大震災が起こる前はこの場所におそらくあったであろう鳥居が倒れてしまい、この鳥居が新たに建てられたと思われます。
鳥居の場所から見える景色。
30段の石段を登り終わると緩やかな坂道が30メートルくらい続きます。途中には東屋があり展望を楽しみながら休憩もできます。
東屋のすぐ隣に神様がいらっしゃいました。
石の祠にも普通は文字が彫られていると思います。正面の凹部にはよく『〇〇大明神』とか彫られていて目で確認できる場合も多々ありますが、側面に彫られているであろう年号などは、風雨が直撃するのと長い年月による風化で9割方は文字を確認することは無理に思います。←(あくまで今まで私が見てきた感じですので、適当に聞き流してください。)
その先を左に曲がれば社殿が見えます。
その前に正面石碑の右奥にも祠があります。
こちらは大き目な祠です。手前には2基の灯籠があります。燈が灯る部分と傘の部分などかなり無くなってます。祠の脇に置かれてる石は灯籠の傘の部分に見えないこともないが、当日はそこまで考えなかったです。
灯籠は一般的に燈が灯る部分の下にある柱部分に年号が彫られているが、こちらの灯篭は2基とも文字を確認することは出来なかった。
道を戻ると正面にも祠がありました。祠へ続くとても古そうで石段はかなり歪になってました。奥に社殿も見えてます。
こちらの祠は土台は古そうですが祠自体は新しいようです。
すこし離れた場所にも神様がいらっしゃいました。
それでは手水舎を見てみます。屋根の建物は古くはないようです。
水盤です。石の欠けもなくかなりしっかりしてます。はたして年号が確認出来るでしょうか?
右側側面。何かしら文字があるような気もしますが解りません。
左側側面も解りません。
裏側はどうか? ありました。寄進者の名前と寛政の年号が見えます。
寛政11年7月(1799年)の奉納です。久々に1700年代の年号に出会えた気がします。江戸時代の年号でも1800年代は比較的すぐに遭遇出来ますが、1700年代の年号になると遭遇する機会が本当に少なくなります。いや~今日は一段と嬉しいです。(^O^)
それにしてもこの水盤は1799年に作られたわりに綺麗ですね。おそらく奉納された当時から手水舎(屋根)があり氏子衆の手入れが行き届いていたのでしょう。残念なことですが屋根も無く水盤が野ざらしになってる小さな神社では幕末頃や明治時代の水盤でさえ文字が読めなかったり水盤自体が欠けていたりしてる場合があります。こういう歴史遺産とも言える物は大切に後世に引き渡したいですね。
では社殿に向かいます。
その5へ続きます。
小休憩が終わったところで先へ進みます。車道を横切り参道は続きます。まだまだ石段があります。やはり人間は『苦と楽』があれば『楽』を選んでしまいますね。駐車場はもう少し上です。駐車場より下の参道には人が日頃歩いてる形跡が無いです。
まだまだ石段は続いてます。古そうな石段に見えますが、手前から奥の上まで石段もコンクリート製です。
石段から次の石段までの間に敷かれた石はコンクリートでは無く本物の石です。
コンクリート石段が出来る前は、この敷石が敷かれた時と同じ時に造られた石段があったと思われます。
石段が枯葉で埋まってしまいそうですね。上の方に鳥居が見えてきました。
一歩一歩登って行く。
遠くない将来、忘れさられそうな参道です。
この石段を登れば鳥居の場所です。車道よりこの石段を登り切った場所までが65段の石段となります。少し膝が笑い出してきました。(^_^;)
鳥居前の踊り場に出ました。この場所より左を見ると次の写真です。右を見ると駐車場が見えます。そして駐車場からの石段はここで合流しています。
道らしきものが下へ続いている。これも昔の参道であろうか? 進んでみたい欲求もあるが止めておきます。
後ろを振り返る。けっこう急です。
駐車場からの石段。この石段は40段あります。今は殆どの人がこちらの駐車場から石段を登って社殿を目指します。
駐車場からの石段脇にこの辺りの自然林の説明があります。ここの自然林はかなり貴重価値が高そうです。
その4に続く。
山の中腹に駐車場があるので、今では山の麓のこの鳥居を潜って石段を登りお参りをする人は殆どいないようです。
バイクを走らせ駐車場へ上がってきました。正面方向から上がってきます。上がってくる道の両側には染井吉野桜の木があります。しかし、もう散ったあとでした。
染井吉野桜の代わって駐車場には牡丹桜がちょうど見ごろになってました。
山の中腹にある駐車場ですが景色がとても素晴らしい。
海まで見渡せてとても気持ち良い。
バイクを駐車して、先ほどの鳥居まで下ります。車の道を少し下った場所に本来の参道が横切ってます。
車の道より石段を下ります。石段と言うよりコンクリートで近年に作られた階段ですね。
鳥居が見えてきました。この石段もコンクリート製です。
立派な鳥居です。
鳥居の手前石段は一見古そうですがコンクリート製のようです。当然、コンクリート階段が作られる以前は古い石段があったと思えます。
この鳥居は新しい感じです。年号が見当たらなかったので、いつ奉納かは解りませんでした。
では、改めて社殿へ向かいます。
下るときあまり気にしないが、登りはちょいと辛そう。
この石段を上がれば駐車場へ続く車道です。鳥居下からこの石段の上までトータルで91段ありました。息切れ激しく車道に出た所で小休憩。日頃の運動不足を痛切に感じます。
その3へ続く。
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shumitei