最近の天気予報は、雨と言っておいて降らなかったり、晴れと言っておいて今にも降りそうな日になったり、という日が多いように感じます。自然相手だからしょうがないと言ってしまえばそれまでですけどね。
さ~て、明日はどうなるでしょうか?
PS. 私の車はスタッドレスタイヤを履いてますから10センチでも20センチでも雪が道に積もって大丈夫ですよ~。千葉じゃそんなに積もらないですね。(笑)
観光客が訪れることも無い房総の小さな集落にひっそりと佇む神社やお寺をバイク(タンデム)で巡ってます。
まずは一番手前、1組目の灯篭を拝見です。みるからに新しい感じがします。
平成7年6月吉日の奉納です。
2組目の灯篭を見てみます。御神燈の文字があります。燈が灯る部分は壊れてしまったのでしょう。台座部の石の上面部に模様があります。この灯篭は古い時代の感じがします。
年号を見てみます。素晴らしくほどにハッキリ綺麗です。
寛政10年9月吉日(1798年)の奉納です。と言うことは水盤と同じ時に奉納されたと言うことですね。
こんな部分にも模様が彫られている。
次は3組目の灯篭です。こちらも燈の灯る部分は無くなってます。
2組目の灯篭と同様に御神燈の文字が彫られてます。
この灯篭は明治28年7月吉日(1895年)の奉納です。元号の文字が江戸期の灯籠の方が重厚な感じがしますが、これは時代の違いではなくて職人の違いですね。(笑)
次は狛犬様です。
年号を見つけてます。
狛犬様は明治33年9月吉日(1900年)の奉納です。
そして社殿です。社殿の基礎部や赤く塗られた建物から見て比較的近年に新しく建てられたように思います。(あくまで個人的私感です。適当に聞き流してください。)
『白幡大神』と記されてます。神社と記さず大神と記してるのには特別な謂れがあるのでしょうか?
拝殿と本殿が一緒の作りになってます。社殿の裏はすぐ斜面になっていて神社が山の上であることがよく解ります。
社殿の右脇の林の名には祠があります。
南側方面の眺め。
小高い山の上の静かな神社。
石段に向かいます。
神社の山の麓には小さな池があります。今は整備され公園になってますが、昔はこの辺りの田圃の貴重な水源だったのでしょう。もっと昔は神社の『神池』的存在だったかもしれません。
池の近くに湧水もあるようで、池からは水が流れ出てます。
池から山の上を見ると社殿が見えます。
斜面の木が伐採されてるから社殿が見えてますが、昔は池から直接は見えなかったと思います。
白幡社近くには山を潰して宅地化し都会と同じような街並みが直ぐ近くにありますが、このような鎮守の森や山はいつまでもこのままの姿で残してもらいたいですね。
使用カメラ NIKON COOLPIX 7600
2月1日(土)は車での買い物の帰りに千葉市緑区刈田子町の御鎮座する『白幡社』に寄ってみた。
集落の中の小高い山の上に御鎮座する。山に上がる道へ進みます。
神社の石段が見える。直進すると富岡町の集落へ下る。
鳥居、石段途中の灯篭はまだ新しいです。石段も新しい感じです。
石段下から刈田子の集落の眺め。
石段を上がります。石段の途中には灯籠が2組見えてます。
平成元年の鳥居です。
鳥居の左側に御神木。
石段途中の灯篭2組は平成14年の奉納。
石段を上がると右側に手水舎、灯篭が3組、その奥に狛犬様、そして社殿となります。
石段を上がった左側にも御神木。
手水舎。
水盤。古そうな感じがします。
両側面には寄進された村民方たちの名前が刻まれている。
かなり彫が薄くなっていて読みづらい。両側面とも全て同じ名前が刻まれている。
奉納年号は何処に?水盤の裏面を見る。見当たらない?
年号はもう消えてしまったか? と一度はあきらめたが近寄ってじっくりと見たら、水道管の右側にかなり見えずらいが文字を発見できた。寛政10年9月吉日(1798年)奉納の水盤。久々に1700年代に出会えて嬉しい気分です。今まで神社仏閣巡りをしていて思いましたが灯篭や水盤、狛犬様や鳥居などで1800年代までの年号は比較的多く出会えますが、1700年代となると極端に少なくなってきます。本格的に神社仏閣巡りを初めてまだ日は浅いですが1600年代の元号にはまだ出会って無いです。古い有名な大きな神社仏閣に行けばとても古い年号に簡単に出会えるかもしれませんが、小さな集落の村民の神社では1600年代やそれ以前の年号を発見するのはとても難しいように思えてるこの頃です。
神社には石碑も多い。地元の公共事業の竣工記念や神社信仰に関するものですね。
次ぎは社殿に向かいますがその前に灯篭3組と狛犬様を見ていきます。次回に続く。
shumitei