今年度いっぱいでガソリンスタンドが、全国であと2000店舗ほど閉店するようですね。
理由はニュース新聞等で報道されてるから皆さんご存知でしょう。
昔は地方を走っていてもガソリン切れを心配することは皆無だったけど、最近は田舎に行くとやはりガソリンスタンドが少ないことに唖然としてしまう。
ガソリンスタンドの場所が解らない田舎地方へ出掛ける時は残量が半分になったら補給しておいたほうが無難ですね。
そう感じる今日この頃です。
February 2013
ネガを整理していてたらSLが写っていたのに気が付いた。しかし、しばらくはどこで?いつ撮影?したのが思い出せなかった。最初は水郡線で走らせたC56かな?と思ったが、よく見るとC58である。そこでネットで水郡線の復活C58で検索したところ、そのような記事は皆無。どう探しても秩父鉄道での復活しか記事が出て来ないのである。。。
ほぼ同時期に水郡線でもSL運転が行われたので撮影に行った。どうもそちらの方が印象が強かったようで、秩父鉄道のSL撮影の記憶は情けないことに殆ど脳みその奥深くに埋もれてしまっていた。
しかしながら時間が経つにつれ思い出してきた。そうそう確かに行ったよ行きましたよ秩父鉄道SL撮影。(笑)
写真は1988年に秩父鉄道にC58が復活して間もないころです。
撮影場所は???秩父駅よりは三峰口駅方面だと思う。
下の4枚は、たぶん三峰口駅で撮影。
使用カメラもどちらを使ったか思い出せないが MINOLTA SRT SUPER か NIKON F2です。 レンズは50㎜か35mmか???だろな~。。。(汗)
引き続きライブドア・ブログで続行致しますので宜しくお願い致します。
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23日(土曜)は、もう一個所(宮下地区)に御鎮座する莫越山神社に行ってきました。
2週間前に辿り着けなかった神社です。
目的の神社ですが今回は簡単に見つけてしまいました。2週間前に探した時に通った道沿いにありました。
前回は何故見つけられなかったのだろうか?と不思議に思うほど見つけやすい場所にありました。
まるで狸に化かされたが如くです。(汗)
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とりあえず毎度の高速南下で道の駅『富楽里』にお弁当を買って食事タイム。(今回は起きるのが遅かった為、オニギリ持参無し。)
次に館山の野菜売り店で八朔やミカンを買い、目的の神社へ向かいます。
神社入り口は県道258号線沿いにあります。
この神社入り口の石塔は比較的新しい物か?何故かというと次の写真へ。
県道入口すぐ左の木の根元に何やら石組みの基礎が残っている。
昔はここに神社入り口の石塔があったと私は推測します。。。
鳥居を潜ります。すると右側に。。。
幟みたいなな旗などを立てる土台です。
昭和9年に奉納されたものです。
さらに進みます。灯篭が手前と奥にあります。
手前、右側の灯篭。
そして左側の灯篭。
弘化2年(1845年)松平下総守により奉納。
この灯篭からは職人魂が聞こえてきそうです。
こんな彫の灯篭は初めて見たと思います。凄いの一言です。
2番目の灯篭はわりと新しいです。右側です。
左側。
大正10年奉納。
ここ莫越山神社は石段と言えるほどのものはありません。ただ説明によると裏にある山(莫越山)が御神体ということなので山頂に社があるかもしれません。山に石段は無いでしょうが参道みたいな道はあるのでしょうか?
想像は膨らみますね~。
手水舎。
これは奉納された年号が解らなかった。
鳥居、狛犬、拝殿。
右側の狛犬様。
左側の狛犬様。
文政10年(1827年)。
職人の名前と住んでた町の名前が読めます。
文政10年の文字と奉納者の名前も読めます。
灯篭など石で造られたものを見ていて感じましたが、大正時代に、下手すると昭和時代に作られたものでも掘られた字が読みにくくなっている状態のものもあれば、江戸時代のものでもわりと読みやすいものまであります。
いずれ年号など読み取れなくなるのはしょうがないことですが、こういうものはそのまま自然にしておくのが良いのでしょうね。。(ただ、倒れそうな危険な状態でしたら当然補強が必要です。)
しかしながら彫られた文字が全く見えないとどうしても物足りません。
ここ莫越山神社の灯篭や狛犬の横には年号や奉納者を記した説明板があり、こちらとしてはとても助かりました。
拝殿。
本殿。
石を積み重ねた土台のにも時代を感じる。
本殿、反対側より見る。後ろに御神木。
江戸時代初期植栽の御神木。
境内の奥には八幡神社。
神社本殿裏からの景色。おそらく正面の山が御神体の莫越山と思われます。←(間違ってるかもしれません。私の一見解として聞き流してください。m(. .)m)
今では使われていない。
鳥居には絶対的存在感があるように思えます。この形を最初に思い付いた人は誰なのであろうか?
悠久の時を超え神様が御鎮座する社が日本には沢山あります。
そこへ行くと遠い昔の人々によって作られた物を目の前で見れて触ることも出来るし、
同時に昔の人たちの声が聞こえてくる気がします。。
考えてみると、それだけでも何かとても凄い事だと思えます。
そんな素敵な場所が日本には沢山あるんですね。
本日の走行距離202キロ。
西湖ユースホステルにて。撮影日は1976年9月の終わり頃です。
この自転車ツーリングの2ヶ月ほど前に東京から銚子まで自転車ツーリングを決行したが、途中で疲れてしまい自転車を母親の実家に預け、そこから銚子まで電車で行きユースホステル犬吠荘で一泊し、母親の実家まで電車で帰って来て、そこから東京まで自転車で帰ってきたことがあった。
帰宅してから、なんとなく銚子行き自転車途中挫折したことを考えていた。
自分は根性無いな~!と。
そこで、今度は走り切ってやるぞ! と思い付いたのが西湖行き自転車ツーリングでした。
このツーリング、初日が午後出発だった為、初日が相模湖ユースホステルで一泊。西湖ユースホステルが二泊目。三日目が東京まで一気走り帰りとなりました。
銚子ツーリングが完走出来なかった為、西湖ツーリングはとても貴重な経験になりました。
永遠に上り坂のような道でダウンしていた時に、ちょうど買い物帰りのお母さんが通りかかり、
『お母さん、すみませんがこの水筒に水を貰えますか?』 と聞いたら、なんと家に案内されて水どころか御飯まで御馳走してくれました。 今でも忘れられない素敵な思い出です。
しかしながら、この西湖ツーリングで自分の自転車に対する情熱や気持が一気に満たさたと同時に冷えてしまい、これ以降は本格的な自転車には全く乗らなくなりました。乗ってもママチャリ(笑)
使用カメラ MINOLTA SRT SUPER 50mm f 1.4
PS.西湖ユースホステルも相模湖ユースホステルも随分前に無くなってます。1970年代のユースホステルの多さが懐かしいです。
以前、自分が開設していたブログかHPで同じような記事を書いたかも知れませんがご勘弁くださいませ。
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shumitei